草津市「ロトス」| 2013年9月号掲載

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100年先に残る地元の名品を

草津焼

「秋の夜長に月でも見ながらちょいと一杯……」と、
大人時間を楽しむのにぴったりな器。
第1期草津市推奨品指定を受けた焼き物「草津焼」だ。
その誕生の陰には、地元にこだわり、
草津の新しい地場産業として長く続くことに期待を寄せる、
一人の陶芸家の存在があった。

■草津の粘土を生かした ガラスのような機能性
山元さんが開発した草津焼の代表的なものには、ビールカップのほか、表紙に登場した「花の器」や「灯りと香りの器」があり、いずれも使い勝手の良さが考えられている。剣山よりオアシスより、もう少し気軽に花を挿せるものがあったらいいのにと作られたのが「花珠」。こぶし大ほどのドーム形で中が空洞になっており、ボツボツと穴があいている。上下2つの穴で枝を受け止め、自由に草花を挿すことができるものだ。「灯りと香りの器」は雲の形にくり抜かれており、キャンドルを灯すと茜雲のように光が浮かぶ。使い道は2通りあって、香炉としても使える。「使い手のことを考えて、より便利になったり暮らしが豊かになったりする道具を作ることが、モノづくりの原点だと思うのです」と山元さん。技術はもちろん、モノづくりの精神も草津焼の大切な要素として伝承していきたいと願っている。 <br /> 後継者はといえば、過去に弟子やアシスタントは何人もおり、独立した作家も一人二人と増えてきたところだ。「草津の名産品といえば、うばがもちやメロンなど食べ物がほとんど。だからなんとか100年、200年先まで形が残る『草津ブランド』を確立したいと思っています。そのためにはまず、地元の人に草津焼の魅力を知ってもらいたい」と願う山元さん。子どもたちの陶芸教室や、地域団体の作陶体験、陶芸家を目指す若者への指導など、地域の人に向けて広く門戸を開いている。 <br /> 「草津焼が広く認知されて本当の草津の地場産業として根付くためには100年かかって当然と思っていますから、あせらず、とにかく地道に活動していきたいと思っています。しかし、私の身体が動くうちに、道筋だけは立てておきたいと頑張っています」とやわらかくほほ笑む山元さん。ぜひ一度研究所を訪れて、草津焼の魅力に触れてみてはいかがだろうか。日々の暮らしに取り入れたり、その普及に協力することが、「草津焼」という長い歴史の幕開けに関わることになるかもしれない。

冷やしたビールカップに冷たいビールを注げばクリーミーな泡が立ち、口にすれば飲み口の薄さにも感激。草津焼の良さはビールで確認

消炭色とでも表現できようか、濃い灰色に焼き締めたその表面は鈍い光沢があり、なでてみると焼き締め独特の微妙なざらつきを感じる。しかし、備前焼や信楽焼を思わせる厚みは一切ない。薄いから、軽い。「草津でとれる粘土を生かし、使い勝手の良さを追求した結果、こうなりました」と話すのは草津焼の開発者であり、淡海(おうみ)陶芸研究所代表の陶芸家・山元義宣さんだ。
 京都で陶芸作家として活動していた山元さんだが、再開発で工房移転を余儀なくされた30年前、思いきって出身地である草津に帰ることを決意。当時から草津は焼き物の産地というわけではなく、陶芸家の工房もなかった。それがかえって草津焼誕生のきっかけになったのだ。「現在立命館大学びわこ・くさつキャンパスが建っている木瓜原遺跡からは、須恵器(古代から焼かれていた土器)の窯をはじめとし、製鉄炉、鍛冶炉、木炭窯、梵鐘鋳造の跡など、火熱を使う生産に関する多くの遺構が見つかっていました。いわば『コンビナート』ですよね。そんな歴史のある土地に、モノづくりの精神が生きていないことが残念で。ぜひとも草津の名を冠した焼き物を確立したいと思ったのです」
 草津焼を作るにあたって山元さんが最もこだわったのは「地元産」であるということだ。地元でとれる粘土を使い、地元で活動する陶芸家がつくること。「粘土が意外と難しくてね。瀬田丘陵一帯で純度の高い『瀬田シルト』という粘土がとれるので、それを使うことにしました。しかし、これがなかなか扱いづらくて……」と、苦労を明かす。
 瀬田シルトという粘土は、乾燥と焼成に対しての収縮率が高い。成形時に比べて、通常だと1割程度のところが、瀬田シルトの場合は2割ほど縮むという。「ろくろで締めていく技が必要となります。扱えるようになるまで、5年はかかったかな」と、難しさを語る。しかし、デメリットばかりではない。「まず焼き上がりが軽い。そして、生地がぎゅっと焼き締められるので、土の中の気泡が抜けて水分を通しづらくなる。そうすると、冷凍室に入れても割れないとか、水通しをしなくても入れたものの匂いが移りづらいとか、そういうことになるわけです」と山元さん。性質や質感はガラスに似ているという。
■使い手に配慮した モノづくり 草津焼の伝承を
山元さんが開発した草津焼の代表的なものには、ビールカップのほか、表紙に登場した「花の器」や「灯りと香りの器」があり、いずれも使い勝手の良さが考えられている。剣山よりオアシスより、もう少し気軽に花を挿せるものがあったらいいのにと作られたのが「花珠」。こぶし大ほどのドーム形で中が空洞になっており、ボツボツと穴があいている。上下2つの穴で枝を受け止め、自由に草花を挿すことができるものだ。「灯りと香りの器」は雲の形にくり抜かれており、キャンドルを灯すと茜雲のように光が浮かぶ。使い道は2通りあって、香炉としても使える。「使い手のことを考えて、より便利になったり暮らしが豊かになったりする道具を作ることが、モノづくりの原点だと思うのです」と山元さん。技術はもちろん、モノづくりの精神も草津焼の大切な要素として伝承していきたいと願っている。 <br /> 後継者はといえば、過去に弟子やアシスタントは何人もおり、独立した作家も一人二人と増えてきたところだ。「草津の名産品といえば、うばがもちやメロンなど食べ物がほとんど。だからなんとか100年、200年先まで形が残る『草津ブランド』を確立したいと思っています。そのためにはまず、地元の人に草津焼の魅力を知ってもらいたい」と願う山元さん。子どもたちの陶芸教室や、地域団体の作陶体験、陶芸家を目指す若者への指導など、地域の人に向けて広く門戸を開いている。 <br /> 「草津焼が広く認知されて本当の草津の地場産業として根付くためには100年かかって当然と思っていますから、あせらず、とにかく地道に活動していきたいと思っています。しかし、私の身体が動くうちに、道筋だけは立てておきたいと頑張っています」とやわらかくほほ笑む山元さん。ぜひ一度研究所を訪れて、草津焼の魅力に触れてみてはいかがだろうか。日々の暮らしに取り入れたり、その普及に協力することが、「草津焼」という長い歴史の幕開けに関わることになるかもしれない。

山元 義宣さん
1950年10月草津市生まれ。立命館大学卒業後、滋賀県立信楽窯業試験場、京都府立陶工高等専門学校で陶芸を学び、陶芸家として京都で活動。その後草津に戻り、草津焼の開発に努める。1997年「草津焼」は草津市より推奨品指定に認定

山元さんが開発した草津焼の代表的なものには、ビールカップのほか、表紙に登場した「花の器」や「灯りと香りの器」があり、いずれも使い勝手の良さが考えられている。剣山よりオアシスより、もう少し気軽に花を挿せるものがあったらいいのにと作られたのが「花珠」。こぶし大ほどのドーム形で中が空洞になっており、ボツボツと穴があいている。上下2つの穴で枝を受け止め、自由に草花を挿すことができるものだ。「灯りと香りの器」は雲の形にくり抜かれており、キャンドルを灯すと茜雲のように光が浮かぶ。使い道は2通りあって、香炉としても使える。「使い手のことを考えて、より便利になったり暮らしが豊かになったりする道具を作ることが、モノづくりの原点だと思うのです」と山元さん。技術はもちろん、モノづくりの精神も草津焼の大切な要素として伝承していきたいと願っている。
 後継者はといえば、過去に弟子やアシスタントは何人もおり、独立した作家も一人二人と増えてきたところだ。「草津の名産品といえば、うばがもちやメロンなど食べ物がほとんど。だからなんとか100年、200年先まで形が残る『草津ブランド』を確立したいと思っています。そのためにはまず、地元の人に草津焼の魅力を知ってもらいたい」と願う山元さん。子どもたちの陶芸教室や、地域団体の作陶体験、陶芸家を目指す若者への指導など、地域の人に向けて広く門戸を開いている。
 「草津焼が広く認知されて本当の草津の地場産業として根付くためには100年かかって当然と思っていますから、あせらず、とにかく地道に活動していきたいと思っています。しかし、私の身体が動くうちに、道筋だけは立てておきたいと頑張っています」とやわらかくほほ笑む山元さん。ぜひ一度研究所を訪れて、草津焼の魅力に触れてみてはいかがだろうか。日々の暮らしに取り入れたり、その普及に協力することが、「草津焼」という長い歴史の幕開けに関わることになるかもしれない。

左がとってきたままの瀬田シルト。非常に純度が高いそう。真空ドレン機で練って均一にすると右の状態に。ここから成形に入る

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