名古屋市中川区「中川フリモ」| 2011年12月号掲載

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白菜の代表品種は中川区で誕生!

日本初の結球白菜 野崎白菜

今では鍋料理に欠かせない白菜ですが、国内に広く普及したのは大正に入ってからと、意外に新しいことをご存知でしたか。明治期に結球白菜が中国から導入されたものの、小松菜のように葉が広がってしまい、日本での栽培はうまくいきませんでした。そんな中、愛知郡荒子村大字中須(現名古屋市中川区大当郎)で品種改良に取り組んでいた野崎徳四郎が、日本で初めて結球した白菜の栽培に成功します。明治26~27年の頃でした。

■2株の山東白菜から開発された野崎白菜
 白菜の原種は、地中海沿岸で見られる野生の菜の花。後に中国で品種改良され、古くから栽培されていました。結球性の白菜は、近世なって現れたようです。日本へは、豊臣秀吉が朝鮮出兵をした際に連行した朝鮮人捕虜によって、江戸時代には長崎を通して、もたらされたと言われています。当時も白菜が交雑するため、結球する白菜は定着しませんでした。 <br /> そして時代は下って明治に入り、私たちが普段見慣れている、葉が包み込まれ、円筒状にまとまった白菜が徳四郎によって、ここ中川区で誕生します。時を同じく、宮城県や石川県においても白菜栽培に情熱を燃やす人々がいました。宮城県では白菜の交雑を避けるため、松島湾に浮かぶ馬放島での隔離栽培を考案し、品種の維持を可能にしました。また、石川県では中晩生の品種育成に成功します。 <br /> こうして日本の白菜の三大品種群である野崎群(愛知県)、松島群(宮城県)、加賀郡(石川県)が生まれました。現在、私たちが食べている白菜の基礎をなす品種群です。これらの品種群や系統間の交配により、多くの品種が育成されていきます。昭和30年代には白菜もF1種(一代交代種)の時代に入り、年間を通じ安定して収穫できるようになりました。栽培面積も増えていき、今や白菜は大根、キャベツに次いで生産量第3位の野菜になっています。

 日本の結球白菜第1号となった野崎白菜の歴史は、明治8年(1975)の東京博覧会に始まります。博覧会には中国山東省から3株の山東白菜(結球白菜)が出品されていました。その3株のうちの2株を愛知県が譲り受け、試験的に栽培を試みます。しかし、葉が開いてしまい、結球しません。また、なんとか結球に成功しても、そこから採種した種子を蒔くと数年のうちに白菜とは別の野菜になってしまいます。当初は原因がわかりませんでした。試験栽培を続ける中、白菜の交雑性の強さがその要因であると判明します。同じアブラナ科に属する他の野菜(カブなど)と自然交雑しやすく、雑種化して形質が変わってしまうのです。
 明治18年(1985)、野崎徳四郎は県から山東白菜の種子を入手し、白菜の栽培に乗り出します。なかなか思うように白菜は結球せず、失敗の連続でした。それでもあきらめず、優良株の採種を積み重ね、試行錯誤を繰り返していく中、次第に形状が丸くまとまってきました。この頃から「山東白菜」「名古屋白菜」と名付けて、市場に出荷を始めます。そして、栽培を手掛けて7~8年の歳月を経た明治26年(1893)~27年(1894)頃、ついに完全な結球白菜の栽培に成功したのです。
 その後も徳四郎は選抜を繰り返し、数品種を育成。大正5年(1916)には、その中の1つを「野崎白菜二号」と命名します。結球が容易なうえ、葉肉が厚く柔らかく、食味が良いのが特長。全国では「愛知白菜」の名で知られ、早生白菜の代表品種として日本各地で生産されるようになりました。
■先人たちの努力で白菜生産が広まった
 白菜の原種は、地中海沿岸で見られる野生の菜の花。後に中国で品種改良され、古くから栽培されていました。結球性の白菜は、近世なって現れたようです。日本へは、豊臣秀吉が朝鮮出兵をした際に連行した朝鮮人捕虜によって、江戸時代には長崎を通して、もたらされたと言われています。当時も白菜が交雑するため、結球する白菜は定着しませんでした。 <br /> そして時代は下って明治に入り、私たちが普段見慣れている、葉が包み込まれ、円筒状にまとまった白菜が徳四郎によって、ここ中川区で誕生します。時を同じく、宮城県や石川県においても白菜栽培に情熱を燃やす人々がいました。宮城県では白菜の交雑を避けるため、松島湾に浮かぶ馬放島での隔離栽培を考案し、品種の維持を可能にしました。また、石川県では中晩生の品種育成に成功します。 <br /> こうして日本の白菜の三大品種群である野崎群(愛知県)、松島群(宮城県)、加賀郡(石川県)が生まれました。現在、私たちが食べている白菜の基礎をなす品種群です。これらの品種群や系統間の交配により、多くの品種が育成されていきます。昭和30年代には白菜もF1種(一代交代種)の時代に入り、年間を通じ安定して収穫できるようになりました。栽培面積も増えていき、今や白菜は大根、キャベツに次いで生産量第3位の野菜になっています。

 白菜の原種は、地中海沿岸で見られる野生の菜の花。後に中国で品種改良され、古くから栽培されていました。結球性の白菜は、近世なって現れたようです。日本へは、豊臣秀吉が朝鮮出兵をした際に連行した朝鮮人捕虜によって、江戸時代には長崎を通して、もたらされたと言われています。当時も白菜が交雑するため、結球する白菜は定着しませんでした。
 そして時代は下って明治に入り、私たちが普段見慣れている、葉が包み込まれ、円筒状にまとまった白菜が徳四郎によって、ここ中川区で誕生します。時を同じく、宮城県や石川県においても白菜栽培に情熱を燃やす人々がいました。宮城県では白菜の交雑を避けるため、松島湾に浮かぶ馬放島での隔離栽培を考案し、品種の維持を可能にしました。また、石川県では中晩生の品種育成に成功します。
 こうして日本の白菜の三大品種群である野崎群(愛知県)、松島群(宮城県)、加賀郡(石川県)が生まれました。現在、私たちが食べている白菜の基礎をなす品種群です。これらの品種群や系統間の交配により、多くの品種が育成されていきます。昭和30年代には白菜もF1種(一代交代種)の時代に入り、年間を通じ安定して収穫できるようになりました。栽培面積も増えていき、今や白菜は大根、キャベツに次いで生産量第3位の野菜になっています。
■伝統野菜として再び注目が集まる
 現在栽培されている白菜の主な品種だけでも、約200種を数えます。その中で最も出回っているのが、山東系の結球白菜です。しかし、その草分け的品種の「野崎白菜二号」は今、店頭で見ることはほとんどありません。傷みやすく、カットすると葉がばらけてしまい切り売りに向かないなどの理由で、次第に作られなくなったのです。 <br /> 愛知県は、平成14年から伝統野菜振興事業に取り組み始めました。地域で育成、栽培されていた野菜品種を整理し、さらなる県産野菜の消費拡大を図ろうというもので、その一環として「あいちの伝統野菜」の選定を行いました。①今から50年前には栽培されていた②地名や人名など愛知県に由来する③今でも種や苗がある④種や生産物が手に入る、の4つの定義を満たすことが条件で、選ばれた35品種の中には「野崎白菜二号」も入っていました。 <br /> 平成22年4月、中川区では有志が集って「名古屋☆中川区ブランド野菜製品開発研究会」を発足させ、野崎白菜など区にゆかりの深いものや、栽培が盛んな農産物を中川区のブランド野菜として取り上げました。それらの製品を開発し、地域で活用、消費することで地産地消の推進や地域の活性化につなげる活動を行っています。12月3日には、昨年に続き2回目となる「元祖白菜料理グランプリ」を開催。野崎白菜を使った創作料理コンテストです。 <br /> また、11月5日に中川区役所で開かれた「中川区地産地消フェア」でも、野崎白菜を使ったオリジナル製品の販売や料理の試食が行われました。こうしたイベントなどを通じて野崎白菜の認知度も上がり、見直されてきました。今後は私たちの食卓にのぼることも増えてきそうで、地産地消の拡大にも結びつくと期待されています。<br />

 現在栽培されている白菜の主な品種だけでも、約200種を数えます。その中で最も出回っているのが、山東系の結球白菜です。しかし、その草分け的品種の「野崎白菜二号」は今、店頭で見ることはほとんどありません。傷みやすく、カットすると葉がばらけてしまい切り売りに向かないなどの理由で、次第に作られなくなったのです。
 愛知県は、平成14年から伝統野菜振興事業に取り組み始めました。地域で育成、栽培されていた野菜品種を整理し、さらなる県産野菜の消費拡大を図ろうというもので、その一環として「あいちの伝統野菜」の選定を行いました。①今から50年前には栽培されていた②地名や人名など愛知県に由来する③今でも種や苗がある④種や生産物が手に入る、の4つの定義を満たすことが条件で、選ばれた35品種の中には「野崎白菜二号」も入っていました。
 平成22年4月、中川区では有志が集って「名古屋☆中川区ブランド野菜製品開発研究会」を発足させ、野崎白菜など区にゆかりの深いものや、栽培が盛んな農産物を中川区のブランド野菜として取り上げました。それらの製品を開発し、地域で活用、消費することで地産地消の推進や地域の活性化につなげる活動を行っています。12月3日には、昨年に続き2回目となる「元祖白菜料理グランプリ」を開催。野崎白菜を使った創作料理コンテストです。
 また、11月5日に中川区役所で開かれた「中川区地産地消フェア」でも、野崎白菜を使ったオリジナル製品の販売や料理の試食が行われました。こうしたイベントなどを通じて野崎白菜の認知度も上がり、見直されてきました。今後は私たちの食卓にのぼることも増えてきそうで、地産地消の拡大にも結びつくと期待されています。

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