大垣市・養老町・垂井町・神戸町・池田町ほか「Wao! club®」| 2013年8月号掲載

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この地に伝わる、神秘の物語

現世へと語り継がれる、夜叉ケ池伝説

美しくも悲しい龍神伝説が伝わる、神秘的な池、夜叉ケ池。
今もこの地の人々によって、その伝説は脈々と語り継がれている。

■雨をつかさどる
龍神となった夜叉姫
 この夜叉ケ池の伝説を多くの人に知ってもらい、来世へ語り継いでいくために、「夜叉ケ池伝説道中まつり」が年1回開かれている。主催は、揖斐川町坂内の、坂内観光協会。坂内といえば、夜叉ケ池への登山口がある地域だ。豊かな自然が広がるこの地で、平成元年からずっと続いているこの祭りは、巨大な龍が伝説に沿って神戸町から揖斐川町坂内地内へと舞いのぼっていくもの。夜叉姫の生家である夜叉堂(神戸町)からスタートし、龍神の本妻「尸羅」が夜叉姫を殺そうと企んだと伝えられる八丈岩(揖斐川町長良)、そして龍神と夜叉姫が一泊したと言われるはたご岩(揖斐川町東横山)、さらに夜叉龍神社の別当所・長昌寺(揖斐川町坂内川上)から、ゴール地点となる「遊らんど坂内特設会場」と、夜叉ケ池伝説のゆかりの地を巡っていく。全長21メートルもある龍は、男性14人がかりで担ぐ。龍のように華麗な舞を見せた後、夜叉姫役の女性を中心に龍が巻き付き、クライマックスを迎える。<br /> その「龍神道中舞」は、祭りを主催する揖斐川町坂内の若手が中心になり担当。特設ステージでは、創作音楽劇「夜叉ケ池物語」の上演や地元の小中学生による和太鼓演奏、地元のとれたて野菜が並ぶバザーや食べ歩きコーナー、木工体験など、地元住民中心の催しや出店も多い。また、NPO法人夜叉ケ池の会が主催する「夜叉ケ池伝説マラニック」も、この祭りと同時開催し、多くの人がこの地を訪れている。揖斐川町役場坂内振興事務所の神谷基樹さんは「やはり、地域の方の協力があってこそ成り立っているお祭りやイベント。いろいろと課題はありますが、これからも長く続けていきたい」と話す。地元住民のサポートや協力が、祭りを作り上げ、盛り上げている。この地に住む人々の手によって、この伝説はきっとこの先も永く語り継がれていくのだろう。<br /> 写真/坂内観光協会提供、金森俊太、西部智美

年1回開かれていた、夜叉ケ池の鎮魂祭。夜叉ケ池では古くから水が涸れたことがないといわれ、今でも雨乞い神事が行われている

 平安時代から龍神伝説が言い伝えられている夜叉ケ池。岐阜県と福井県の県境に位置する、標高1100メートルの山の稜線にある池だ。豪雪地帯のため冬は閉ざされているが、初夏から秋にかけては、その美しい池を一目見ようと、多くの登山者が訪れる。
 江戸時代に収録された『美濃国諸旧記』に、とある伝説が記されたことから、この夜叉ケ池は世に広がっていった。夜叉姫という一人の少女が、人々のために自ら龍神になるという、美しくも悲しい物語だ。
 夜叉姫は、平安時代の初め頃、美濃国安八郡(現在の安八郡神戸町)の郡司・安八太夫安次の二女として生まれた。夜叉姫の父、太夫は、一群の領地を持つ美濃国の大富豪。未開拓だった地に寺社を建立し、この地方の文化を開発していった。徳望も高く、世の人々は〝安八の長者〟と呼び、皆、彼を慕っていたという。
 そうしてこの地が文化の夜明けを迎えた、弘仁八年の夏。美濃国は大旱魃に見舞われた。春から夏にかけて雨が一滴も降らず、稲や田畑はもちろん、草木も広い田園も枯野と化してしまった。ついには飲み水までも涸れてしまい、村人たちの命も危ぶまれる極限状態に。これをなんとかできないだろうかと頭を抱えていた太夫のもとに、小さな蛇が現れた。神にもすがる思いで、「もしも君が大雨を降らせてくれたならば、どんな望みでも叶えてみせよう」と話しかけた太夫。すると、たちまち黒雲がたちこめ、激しい雨が降り続いた。その恵みの雨が、村人たちの命を救ったのだ。
 しばらくして一人の若武者が太夫のもとへ訪れ、「私は、いつかお会いした小蛇です。あなたの娘を、私の嫁にください」と申し出た。実はあの小蛇は龍神で、約束通り願いを叶えてもらうためにここへ来たと言うのだ。この話を聞いた三人の娘たちは涙に暮れるばかりだったが、二女の夜叉姫が泣きながら立ち上がったのだ。「それならば、私が参ります…」と。
 たくさんの村人たちに見送られながら、龍神の背に乗って杭瀬川を上っていった夜叉姫。山深い池へと辿り着き、そこで龍神となる決意をする。その後、太夫とその妻が娘恋しさに池を訪れると、下半身が龍神の姿となった夜叉姫が現れたという。「私は龍神としてここで生き続けます。雨を降らせてほしい時には、私に願い出てください。必ず雨を降らせます。そしてこれを、末代まで語り継いでほしい」。世の人々を救い、自らが犠牲となった美しく心優しい姫の名前を取って、その池は「夜叉ケ池」と呼ばれるようになった。
 この「夜叉ケ池伝説」は、全国的にも有名な伝説のひとつ。小説や演劇、オペラなどでも語り継がれてきた。今も県内外から夜叉堂や夜叉ケ池を訪れる人は絶えないという。現在も、安八太夫安次の子孫、第47代の石原傳兵衛さんは神戸町に住み、この伝説を語り継いでいる。石原家の敷地内には太夫と夜叉姫を祀った「夜叉堂」があり、石原さんは毎日欠かさず参拝しているという。
■幻想的な龍の舞を再現
夜叉ケ池伝説道中祭り
 この夜叉ケ池の伝説を多くの人に知ってもらい、来世へ語り継いでいくために、「夜叉ケ池伝説道中まつり」が年1回開かれている。主催は、揖斐川町坂内の、坂内観光協会。坂内といえば、夜叉ケ池への登山口がある地域だ。豊かな自然が広がるこの地で、平成元年からずっと続いているこの祭りは、巨大な龍が伝説に沿って神戸町から揖斐川町坂内地内へと舞いのぼっていくもの。夜叉姫の生家である夜叉堂(神戸町)からスタートし、龍神の本妻「尸羅」が夜叉姫を殺そうと企んだと伝えられる八丈岩(揖斐川町長良)、そして龍神と夜叉姫が一泊したと言われるはたご岩(揖斐川町東横山)、さらに夜叉龍神社の別当所・長昌寺(揖斐川町坂内川上)から、ゴール地点となる「遊らんど坂内特設会場」と、夜叉ケ池伝説のゆかりの地を巡っていく。全長21メートルもある龍は、男性14人がかりで担ぐ。龍のように華麗な舞を見せた後、夜叉姫役の女性を中心に龍が巻き付き、クライマックスを迎える。<br /> その「龍神道中舞」は、祭りを主催する揖斐川町坂内の若手が中心になり担当。特設ステージでは、創作音楽劇「夜叉ケ池物語」の上演や地元の小中学生による和太鼓演奏、地元のとれたて野菜が並ぶバザーや食べ歩きコーナー、木工体験など、地元住民中心の催しや出店も多い。また、NPO法人夜叉ケ池の会が主催する「夜叉ケ池伝説マラニック」も、この祭りと同時開催し、多くの人がこの地を訪れている。揖斐川町役場坂内振興事務所の神谷基樹さんは「やはり、地域の方の協力があってこそ成り立っているお祭りやイベント。いろいろと課題はありますが、これからも長く続けていきたい」と話す。地元住民のサポートや協力が、祭りを作り上げ、盛り上げている。この地に住む人々の手によって、この伝説はきっとこの先も永く語り継がれていくのだろう。<br /> 写真/坂内観光協会提供、金森俊太、西部智美

坂内の20代から40代の男性14人で担ぎ、舞いを披露する「龍神道中舞」

 この夜叉ケ池の伝説を多くの人に知ってもらい、来世へ語り継いでいくために、「夜叉ケ池伝説道中まつり」が年1回開かれている。主催は、揖斐川町坂内の、坂内観光協会。坂内といえば、夜叉ケ池への登山口がある地域だ。豊かな自然が広がるこの地で、平成元年からずっと続いているこの祭りは、巨大な龍が伝説に沿って神戸町から揖斐川町坂内地内へと舞いのぼっていくもの。夜叉姫の生家である夜叉堂(神戸町)からスタートし、龍神の本妻「尸羅」が夜叉姫を殺そうと企んだと伝えられる八丈岩(揖斐川町長良)、そして龍神と夜叉姫が一泊したと言われるはたご岩(揖斐川町東横山)、さらに夜叉龍神社の別当所・長昌寺(揖斐川町坂内川上)から、ゴール地点となる「遊らんど坂内特設会場」と、夜叉ケ池伝説のゆかりの地を巡っていく。全長21メートルもある龍は、男性14人がかりで担ぐ。龍のように華麗な舞を見せた後、夜叉姫役の女性を中心に龍が巻き付き、クライマックスを迎える。
 その「龍神道中舞」は、祭りを主催する揖斐川町坂内の若手が中心になり担当。特設ステージでは、創作音楽劇「夜叉ケ池物語」の上演や地元の小中学生による和太鼓演奏、地元のとれたて野菜が並ぶバザーや食べ歩きコーナー、木工体験など、地元住民中心の催しや出店も多い。また、NPO法人夜叉ケ池の会が主催する「夜叉ケ池伝説マラニック」も、この祭りと同時開催し、多くの人がこの地を訪れている。揖斐川町役場坂内振興事務所の神谷基樹さんは「やはり、地域の方の協力があってこそ成り立っているお祭りやイベント。いろいろと課題はありますが、これからも長く続けていきたい」と話す。地元住民のサポートや協力が、祭りを作り上げ、盛り上げている。この地に住む人々の手によって、この伝説はきっとこの先も永く語り継がれていくのだろう。
 写真/坂内観光協会提供、金森俊太、西部智美

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