名古屋市守山区「守山フリモ」| 2012年4月号掲載

>>「守山フリモ」の情報を見る>>「守山フリモ」バックナンバーをもっと見る

世代を超えて愛される名古屋名物

青柳総本家 青柳ういろう

「ポポポィのポィ、お口へポィ、白、黒、抹茶、上がり(あずき)、コーヒー、ゆず、さくら、青柳ういろう」のCMソングでおなじみ、青柳ういろうの青柳総本家は創業133年を迎える老舗だ。ほのかな甘みともっちりとした舌ざわりで、長年親しまれている銘菓・青柳ういろう。その歴史を探るべく、守山区瀬古にある青柳総本家本社を訪ねた。

■ういろうのルーツは中国の薬?
歌舞伎の題材としても登場
 名古屋でういろうがつくられ始めたのは、江戸時代とされている。各地でつくられていたういろうが、なぜ名古屋名物と言われるまでになったのか。そのヒントは青柳ういろうの「青柳総本家」にある。<br /> 明治12年、大須門前通りで創業した当時は、蒸し羊羹を主に製造していたという。明治後期になって、規模を拡張。この当時は屋号の青柳としてではなく、「大須のういろう屋」として名を知られていたようだ。<br /> 昭和6年、国鉄名古屋駅の構内売店やホームでの立ち売りをスタート。同時期に、商品名に屋号をつけ、「青柳ようかん」「青柳ういろう」とした。昭和12年には、国鉄名古屋駅でご当地名物として販売を開始。地下街やデパートにも出店した。また、市電の乗り換え券の裏にも広告を載せ、積極的に販売・宣伝に努めた。昭和27年、内装を従来の竹皮包みからアルミ箔と紙でできたラミネート包装に切り替える。昭和37年には、ういろう業界初の製造工程をオートメーション化した工場を守山区に建設。これにより、創業以来職人の腕ひとつでつくられてきたういろうは、より衛生的に量産可能となった。2日を要した作業をたったの2時間で終えることができ、1日あたりの生産量は2万本と一気に増加。さらに衛生面に配慮し、ういろうをハイゼックス袋に充填包装。日持ちの良さを格段にアップさせた。東海道新幹線が開通すると、車内販売を開始。これを期に、「青柳ういろう」の名は、全国区となった。

 ういろうとは、米粉などに砂糖を合わせて蒸す菓子をいう。名古屋名物として知られているが、意外にも小田原や京都、山口など各地でつくられている。山口県では米粉の代わりにわらび粉を使用しているなど、ういろうといっても種類は地方によって様々だ。
 ういろうは、漢字で「外郎」と表記する。まずは、その名の由来を追ってみよう。ルーツは今から600年以上前、室町時代に遡る。その頃中国では、王朝が元から明へ移り変わる動乱期を迎えていた。元の礼部員外郎(れいほうえんういろん)の職にあった陳延祐は日本に亡命。帰化をし、陳外郎と名乗る。息子・宗奇は天皇家の典医を務め、せきや痰に効く薬を製造。その薬はとても重宝され、朝廷から「透頂香(とうちんこう)」との名を賜るが、またの名を「ういろう」とも呼んだという。同時にこの頃、宗奇は菓子の製造技術も伝承。焦げ茶色で四角い様が透頂香に似ていることから、いつの間にか菓子の名も「ういろう」となったとされる。
 江戸時代の、こんなエピソードも伝わる。時の人気役者2代目・市川團十郎が、喉を痛めた際、透頂香を服用。薬のおかげで舞台へ復帰した團十郎は、透頂香の名を世に広げたいと芝居を考案。自ら脚本を手がけ主演したのが、歌舞伎十八番のひとつで「武具、馬具、武具馬具、三武具馬具…」の早口言葉で知られる「外郎売」である。また、十返舎一九の東海道中膝栗毛では、「ういろうを餅かとうまくだまされて こは薬じゃとにがい顔する」と、薬のういろうを菓子と勘違いし、がっかりする場面が描かれている。こうして、ういろうの名は全国に広がりを見せていく。
■治創業・青柳総本家
量産と宣伝で
その名を全国に
 名古屋でういろうがつくられ始めたのは、江戸時代とされている。各地でつくられていたういろうが、なぜ名古屋名物と言われるまでになったのか。そのヒントは青柳ういろうの「青柳総本家」にある。<br /> 明治12年、大須門前通りで創業した当時は、蒸し羊羹を主に製造していたという。明治後期になって、規模を拡張。この当時は屋号の青柳としてではなく、「大須のういろう屋」として名を知られていたようだ。<br /> 昭和6年、国鉄名古屋駅の構内売店やホームでの立ち売りをスタート。同時期に、商品名に屋号をつけ、「青柳ようかん」「青柳ういろう」とした。昭和12年には、国鉄名古屋駅でご当地名物として販売を開始。地下街やデパートにも出店した。また、市電の乗り換え券の裏にも広告を載せ、積極的に販売・宣伝に努めた。昭和27年、内装を従来の竹皮包みからアルミ箔と紙でできたラミネート包装に切り替える。昭和37年には、ういろう業界初の製造工程をオートメーション化した工場を守山区に建設。これにより、創業以来職人の腕ひとつでつくられてきたういろうは、より衛生的に量産可能となった。2日を要した作業をたったの2時間で終えることができ、1日あたりの生産量は2万本と一気に増加。さらに衛生面に配慮し、ういろうをハイゼックス袋に充填包装。日持ちの良さを格段にアップさせた。東海道新幹線が開通すると、車内販売を開始。これを期に、「青柳ういろう」の名は、全国区となった。

名古屋大空襲により、大須の店舗は灰じんに帰す。すり鉢やせいろなどの製造道具も跡かたなく消えた。昭和23年、商店の一角を借りて青柳総本家は再出発をきる。総勢5人、自宅の台所がういろうの製造工場だ

 名古屋でういろうがつくられ始めたのは、江戸時代とされている。各地でつくられていたういろうが、なぜ名古屋名物と言われるまでになったのか。そのヒントは青柳ういろうの「青柳総本家」にある。
 明治12年、大須門前通りで創業した当時は、蒸し羊羹を主に製造していたという。明治後期になって、規模を拡張。この当時は屋号の青柳としてではなく、「大須のういろう屋」として名を知られていたようだ。
 昭和6年、国鉄名古屋駅の構内売店やホームでの立ち売りをスタート。同時期に、商品名に屋号をつけ、「青柳ようかん」「青柳ういろう」とした。昭和12年には、国鉄名古屋駅でご当地名物として販売を開始。地下街やデパートにも出店した。また、市電の乗り換え券の裏にも広告を載せ、積極的に販売・宣伝に努めた。昭和27年、内装を従来の竹皮包みからアルミ箔と紙でできたラミネート包装に切り替える。昭和37年には、ういろう業界初の製造工程をオートメーション化した工場を守山区に建設。これにより、創業以来職人の腕ひとつでつくられてきたういろうは、より衛生的に量産可能となった。2日を要した作業をたったの2時間で終えることができ、1日あたりの生産量は2万本と一気に増加。さらに衛生面に配慮し、ういろうをハイゼックス袋に充填包装。日持ちの良さを格段にアップさせた。東海道新幹線が開通すると、車内販売を開始。これを期に、「青柳ういろう」の名は、全国区となった。
■青柳スピリットで
伝統の味を若年層へ
 知名度をさらに上げるきっかけとなったテレビコマーシャルは、昭和44年から放映開始。青柳ういろうのCMソングについての問い合わせは、放映終了から2年経った今でもあるという。<br /> 「~白、黒、抹茶の次は、あずき?上がり?との質問を受けます。答えはというと、実はどちらも正解。もともとは、こしあんを意味する”上がり“と歌っていましたが、わかりにくいため、途中からあずきに変更し、その後また上がりにしたんです」と青柳総本家営業部の広報担当は話す。<br /> 現在のCMは、目・鼻・口が「ういろう」の文字でつくられたキャラクターが登場。「We are ういろう~」の歌に乗って体をくねらせる様は、見る人の笑顔を誘う。<br /> 若者の和菓子離れが進む中、青柳総本家では様々な商品を開発。子どもからお年寄りまで、全ての世代に親しまれるういろうを手がけている。しろ、くろ、抹茶、上がり、さくらの定番商品の他、昔ながらの製法にこだわった「生ういろう」やあんをういろうで包んだ「四季づくし」などを販売。季節限定商品「季節の味くらべ」シリーズでは、旬の素材を取り入れたういろうが楽しめる。若い女性からのアイデアをもとに誕生した「青柳ういろう おいも」は、人気のファッションイベント「東京ガールズコレクションin名古屋」とのコラボ商品。ハート模様をあしらったさつまいも味のういろうは、イベント当日の会場などで販売され、好評を集めた。最近は愛知商業高校「マーケティング研究」の授業への協力で、新商品開発の学習をサポート。若年層との交流から、ういろうづくりのヒントを得ることもあるそうだ。今年夏には、本社横に製造工場がオープン。全ての商品が守山区でつくられることになる。<br /> 創業から、133年。その歴史は、伝統を守りながらも躍進を続けた姿とともにある。青柳総本家の商標は、「柳と蛙」。柳に飛びつこうと何度もチャレンジするカエルのように、努力を惜しまない「青柳精神」を表している。<br> 文/新井のぞみ

季節の味くらべシリーズの春の味は、「桜ういろうと若桃ういろう」。大納言小豆の入ったさくら風味のういろう(左)と若桃の果肉を使った、香り豊かなういろう(右)の2種がセット

 知名度をさらに上げるきっかけとなったテレビコマーシャルは、昭和44年から放映開始。青柳ういろうのCMソングについての問い合わせは、放映終了から2年経った今でもあるという。
 「~白、黒、抹茶の次は、あずき?上がり?との質問を受けます。答えはというと、実はどちらも正解。もともとは、こしあんを意味する”上がり“と歌っていましたが、わかりにくいため、途中からあずきに変更し、その後また上がりにしたんです」と青柳総本家営業部の広報担当は話す。
 現在のCMは、目・鼻・口が「ういろう」の文字でつくられたキャラクターが登場。「We are ういろう~」の歌に乗って体をくねらせる様は、見る人の笑顔を誘う。
 若者の和菓子離れが進む中、青柳総本家では様々な商品を開発。子どもからお年寄りまで、全ての世代に親しまれるういろうを手がけている。しろ、くろ、抹茶、上がり、さくらの定番商品の他、昔ながらの製法にこだわった「生ういろう」やあんをういろうで包んだ「四季づくし」などを販売。季節限定商品「季節の味くらべ」シリーズでは、旬の素材を取り入れたういろうが楽しめる。若い女性からのアイデアをもとに誕生した「青柳ういろう おいも」は、人気のファッションイベント「東京ガールズコレクションin名古屋」とのコラボ商品。ハート模様をあしらったさつまいも味のういろうは、イベント当日の会場などで販売され、好評を集めた。最近は愛知商業高校「マーケティング研究」の授業への協力で、新商品開発の学習をサポート。若年層との交流から、ういろうづくりのヒントを得ることもあるそうだ。今年夏には、本社横に製造工場がオープン。全ての商品が守山区でつくられることになる。
 創業から、133年。その歴史は、伝統を守りながらも躍進を続けた姿とともにある。青柳総本家の商標は、「柳と蛙」。柳に飛びつこうと何度もチャレンジするカエルのように、努力を惜しまない「青柳精神」を表している。
 文/新井のぞみ

>>「守山フリモ」の情報を見る>>「守山フリモ」バックナンバーをもっと見る