渋川市「渋川パリッシュ」| 2016年12月号掲載

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伊香保名物「湯の花まんじゅう」を守り続ける気概

伊香保温泉の宝もの

日本各地の温泉地で親しまれている温泉まんじゅう。
その発祥の地と伝わるのが伊香保温泉だ。
100年以上もの歴史を紡ぐ当地の名物に、
今なお、誇りと情熱を注ぐ人々の話を聞く。

■伊香保の名物とするべく まんじゅうで湯の花色を再現
 その後、伊香保にある他の和菓子店も、湯の花まんじゅうの製造に乗り出す。「皮が茶色」という共通点はあるものの、それぞれに皮や餡の個性は異なる。まちの和菓子職人たちが切磋琢磨した結果、湯の花まんじゅうは次第に磨かれていった。<br /> 1931(昭和6)年には、群馬県と新潟県を隔てる谷川岳の中腹を清水トンネルが貫き、上越線が全通。各地から渋川、そして伊香保への交通の便はますます良くなった。<br /> 「それでも、販売開始から20年以上は、全国に名を知られるような名物ではなかったようです。転機が訪れたのは昭和9年。当時、群馬県を中心に行われた陸軍特別大演習で、県が湯ノ花饅頭を買い上げ、昭和天皇に献上したことで、広く知られたようです」と正博さん。<br /> さまざまな状況の重なりと、おいしさを追い求める職人たちの気概が、伊香保のまんじゅうの評判を全国に広めていった。<br /> 勝月堂では創業以来、製法を変えていない。「皮と餡の元になる蜜の作り方も、もちろん当時のままです。現在でも私しか知りません」と正博さん。昭和11年創業の和菓子店、清芳亭の山本紘史さんも「製餡から包餡まで、当社の湯の花饅頭は、職人が大切にレシピを守り続けています」と話す。現在、伊香保で湯の花まんじゅうを製造・販売している店は7軒程度あるが、伊香保を代表する名物は今なお、各店で大切に受け継がれている。<br /> 「温泉まんじゅうとは、温泉地で作られ、土産用に販売されている物だと考えています。まんじゅうは古来より日本の食文化にありましたから、正直、湯の花まんじゅうが温泉まんじゅうの発祥だと、資料で証明することはできません」と、ほほ笑みながら話す正博さん。「大切なのは、お客様においしいまんじゅうをご提供すること。それが少しでも伊香保のためになれば、一番嬉しいですね」と言葉をつなぐ。<br /> 清芳亭の山本さんも「お店がそれぞれのおいしさを極めるために、湯の花まんじゅうを守り続けています」と重ねる。<br /> 100年以上も愛され続ける伊香保の宝物。寒さが募る時季、温泉と一緒に楽しんでみては、いかがだろうか。<br /> 文/生方勝喜

黄金の湯と呼ばれる茶褐色の温泉が伊香保の特徴。湯の花まんじゅうの皮は、この湯から作られる湯の花の色合いを再現している

 一年を通して多くの観光客が訪れる名湯、伊香保温泉。同地の土産物として人気の「湯の花まんじゅう」が、日本各地で親しまれている、温泉まんじゅうの発祥だと伝わっているのを、知っているだろうか。
 伊香保温泉の歴史は長い。開湯時期は諸説あるが、万葉集にも名前が登場するほど古くから知られ、同地を象徴する石段街は400年以上前、長篠の戦いで傷ついた武士の保養場所として整備された。
 1890(明治23)年には御用邸が置かれ、文人墨客の逗留先、また避暑地として利用されていた伊香保温泉に契機が訪れたのは1910(明治43)年のこと。渋川から伊香保まで路面電車が開通し、交通の利便性が格段に向上したのだ。これにより、東京方面から一般客が気軽に来られるようになった。時を同じくして産声を上げたのが、「湯の花まんじゅう」。伊香保・勝月堂の初代店主、半田勝三氏が販売を始めた。
 「勝三は10代の頃に東京の名店、凮月堂で修業を行い、後に伊香保に戻って、だんごやカルメ焼きなどを行商で販売していました」と話すのは、4代目店主の半田正博さん。当時、伊香保への電車開通に関心を持ち、半田家の隣人だった須田逸平氏が、江の島名物の片瀬まんじゅうを土産に買って帰り、「伊香保にもこのような名物を作ってみてはどうか」と声をかけたのが、きっかけだった。交通の便が良くなり、観光客が増えるであろう伊香保には、名産品が必要だと考えたのだ。
 「須田さんは、湯の花の色をした独特のまんじゅうがいいとアドバイスをしたそうです」。伊香保の湯の花といえば、手ぬぐいが色づくほどの茶褐色の湯から作られる。勝三氏は当初、温泉を皮の生地作りに使用して色の再現を試みるが、おいしくない。そこで、従来からある黒糖まんじゅうをヒントに、黒糖を練り込むことで色の再現を目指す。約半年間の試行錯誤の結果、納得のいく色に仕上がった皮のまんじゅうを「湯ノ花饅頭」と名付けて販売した。
■誕生から100年以上を経て 各店が守り続ける味
 その後、伊香保にある他の和菓子店も、湯の花まんじゅうの製造に乗り出す。「皮が茶色」という共通点はあるものの、それぞれに皮や餡の個性は異なる。まちの和菓子職人たちが切磋琢磨した結果、湯の花まんじゅうは次第に磨かれていった。<br /> 1931(昭和6)年には、群馬県と新潟県を隔てる谷川岳の中腹を清水トンネルが貫き、上越線が全通。各地から渋川、そして伊香保への交通の便はますます良くなった。<br /> 「それでも、販売開始から20年以上は、全国に名を知られるような名物ではなかったようです。転機が訪れたのは昭和9年。当時、群馬県を中心に行われた陸軍特別大演習で、県が湯ノ花饅頭を買い上げ、昭和天皇に献上したことで、広く知られたようです」と正博さん。<br /> さまざまな状況の重なりと、おいしさを追い求める職人たちの気概が、伊香保のまんじゅうの評判を全国に広めていった。<br /> 勝月堂では創業以来、製法を変えていない。「皮と餡の元になる蜜の作り方も、もちろん当時のままです。現在でも私しか知りません」と正博さん。昭和11年創業の和菓子店、清芳亭の山本紘史さんも「製餡から包餡まで、当社の湯の花饅頭は、職人が大切にレシピを守り続けています」と話す。現在、伊香保で湯の花まんじゅうを製造・販売している店は7軒程度あるが、伊香保を代表する名物は今なお、各店で大切に受け継がれている。<br /> 「温泉まんじゅうとは、温泉地で作られ、土産用に販売されている物だと考えています。まんじゅうは古来より日本の食文化にありましたから、正直、湯の花まんじゅうが温泉まんじゅうの発祥だと、資料で証明することはできません」と、ほほ笑みながら話す正博さん。「大切なのは、お客様においしいまんじゅうをご提供すること。それが少しでも伊香保のためになれば、一番嬉しいですね」と言葉をつなぐ。<br /> 清芳亭の山本さんも「お店がそれぞれのおいしさを極めるために、湯の花まんじゅうを守り続けています」と重ねる。<br /> 100年以上も愛され続ける伊香保の宝物。寒さが募る時季、温泉と一緒に楽しんでみては、いかがだろうか。<br /> 文/生方勝喜

1個から小売している店もあるので、お土産はもちろん、その場で食べるのも楽しみだ

 その後、伊香保にある他の和菓子店も、湯の花まんじゅうの製造に乗り出す。「皮が茶色」という共通点はあるものの、それぞれに皮や餡の個性は異なる。まちの和菓子職人たちが切磋琢磨した結果、湯の花まんじゅうは次第に磨かれていった。
 1931(昭和6)年には、群馬県と新潟県を隔てる谷川岳の中腹を清水トンネルが貫き、上越線が全通。各地から渋川、そして伊香保への交通の便はますます良くなった。
 「それでも、販売開始から20年以上は、全国に名を知られるような名物ではなかったようです。転機が訪れたのは昭和9年。当時、群馬県を中心に行われた陸軍特別大演習で、県が湯ノ花饅頭を買い上げ、昭和天皇に献上したことで、広く知られたようです」と正博さん。
 さまざまな状況の重なりと、おいしさを追い求める職人たちの気概が、伊香保のまんじゅうの評判を全国に広めていった。
 勝月堂では創業以来、製法を変えていない。「皮と餡の元になる蜜の作り方も、もちろん当時のままです。現在でも私しか知りません」と正博さん。昭和11年創業の和菓子店、清芳亭の山本紘史さんも「製餡から包餡まで、当社の湯の花饅頭は、職人が大切にレシピを守り続けています」と話す。現在、伊香保で湯の花まんじゅうを製造・販売している店は7軒程度あるが、伊香保を代表する名物は今なお、各店で大切に受け継がれている。
 「温泉まんじゅうとは、温泉地で作られ、土産用に販売されている物だと考えています。まんじゅうは古来より日本の食文化にありましたから、正直、湯の花まんじゅうが温泉まんじゅうの発祥だと、資料で証明することはできません」と、ほほ笑みながら話す正博さん。「大切なのは、お客様においしいまんじゅうをご提供すること。それが少しでも伊香保のためになれば、一番嬉しいですね」と言葉をつなぐ。
 清芳亭の山本さんも「お店がそれぞれのおいしさを極めるために、湯の花まんじゅうを守り続けています」と重ねる。
 100年以上も愛され続ける伊香保の宝物。寒さが募る時季、温泉と一緒に楽しんでみては、いかがだろうか。
 文/生方勝喜

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