米子「こはく」| 2017年6月号掲載

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浜の空に響く機音

経済産業大臣指定伝統的工芸品 県指定無形文化財 弓浜絣

深い藍染めの紺と、綿の白とのコントラスト。
ざっくりとした、温かく素朴な風合い―。
生活用品や作業着に、ときに晴れの着物として
およそ300年織り続けられてきた弓浜絣は、
現代の日用品へと有り様を広げ、伝統工芸品のある暮らしを提案している。
弓浜絣を次の世代へ伝える鳥取県弓浜絣協同組合と
若き生産者の活躍を紹介する。

■自給衣料から特産品へ 瀬戸際で守られた伝統工芸
 自治体も後継者育成に力を入れている。組合が主催し、国と鳥取県、境港市、米子市が支援して弓浜絣後継者養成研修を実施。1期3年の課程で、これまで2期6人が修了し、絣に携わる仕事をしている。境港市出身・在住の佛坂香奈子さんは1期生の一人。平成19年9月から3年間弓浜絣作りを学んだ。<br /> 「信州大学の繊維学部に進学し、さらに世界の民族衣装を研究しようと大学院へ進む準備をしていたところ、研修生の募集を知りました。弓浜絣はよその家では普通に作られていると思っていたので、生業とする人がいなくなりそうと聞いてびっくり。『世界の民俗より、地元が大変だ!』って、応募したんです」。<br /> 研修では、県無形文化財保持者の嶋田悦子さんにつきっきりで指導を受けた。平成24年「弓浜絣工房B」を立ち上げて、独立。糸の染めを外注するほかは、綿繰りから織りまで一人で行う。自宅の畑では伯州綿を栽培し、材料の一部に使用。農薬を用いないため夏の草取りが大変だが、父親が手を貸してくれる。<br /> 機は、組合から譲り受けた大正時代のもの。よこ糸を通すたびに慎重に柄を合わせるため、一日に織れる布は多くて1mほどだという。月や花など自身が欲しいと思う柄を考案しながら、バッグやエプロン、洋服や生活雑貨、アクセサリーなどを製作する。<br /> 昨年、佛坂さんはトヨタ自動車による、全国の若手工芸作家を応援する「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT 2016」の一員に選出された。アドバイザーとともに、弓浜絣と伯州綿を用いたトートバッグを開発。この夏、県内や全国で販売される予定だ。<br /> 「弓浜絣には、大きな可能性があると思います。歴史は長いですがここ50年ほどで考えると流通量はまだわずか。これから広がる余地があるので、開拓のしがいがありますね」とにっこり。<br /> 夢は、たくさんの人を雇える工房になること。そのためには、弓浜絣を人々の暮らしにもっと浸透させたいと前を見据える。「自分がいる前後100年を繋がないと。私より若い生産者が少ないので、次世代を育てたい」。需要が増え、生業としての安定性が上がること、ひいては絣産業全体の振興が目標だ。

亀、宝珠、分銅、丁字など縁起の良い宝尽くしの柄

 弓ヶ浜は、砂の半島。江戸時代前期、この地で綿栽培が始まった。陽が燦々と降り注ぎ、気持ちの良い風が吹き抜ける。水はけの良い砂地は良質の綿を生み、「伯州綿」と重宝された。
 やや遅れて、絣の生産が始まる。米子市車尾の辺りで作られた灘飛白、絞木綿などがやがて弓浜絣となったと伝わる。当初は自家製の作業着や晴れ着などに幅広く用いられ、江戸末期から明治にかけては京都や大阪にも輸出された。
 弾力に富み、保温性が高い「伯州綿」を使って織る弓浜絣は、ざっくりとした風合いが特徴。素朴な絵柄は種類が豊富で、美しい曲線が描かれるものも多い。鳥取県弓浜絣協同組合理事長の田中博文さんは「鶴や亀などの吉祥文様、明治時代にはこうもり傘やガス灯、戦時中は戦闘機や軍艦など、時代を反映した文様も織られました」と説明する。
 絣作りは、地道で丁寧な手仕事だ。綿の種を取り出す「綿繰り」や、糸紡ぎさえ手で行う生産者もいる。右手で糸車を回すと、綿を握った左手の指先から細く均等な糸が生まれる。よこ糸に文様を表すための仕込みをして天然の藍で染め、ようやく準備が完了。昔ながらの機で織り上げる。「全国の絣のなかには機械化して速く大量に生産するものもありますが、私たちはほぼ手作業。それが弓浜絣伝統のものづくりなんです」と田中さんは微笑む。
 明治以降、近代化の波に押されて弓浜絣は衰退。手作業や天然素材などの伝統も危機に瀕した。「このままでは弓浜絣の根の部分が失われる」と、昭和40年代ごろ保存運動が起こり、組合が立ち上げられた。弓浜絣は、昭和50年に国の伝統工芸品に、53年には県指定無形文化財に指定。田中さんは「生産者はいま10軒ほど。愛好者のグループもあります。伯州綿栽培の取り組みも進んでおり、地域の人たちや若い世代へ弓浜絣をもっと広げたい」と思いを語る。
■後継者養成研修で 後進を育て、次世代へ
 自治体も後継者育成に力を入れている。組合が主催し、国と鳥取県、境港市、米子市が支援して弓浜絣後継者養成研修を実施。1期3年の課程で、これまで2期6人が修了し、絣に携わる仕事をしている。境港市出身・在住の佛坂香奈子さんは1期生の一人。平成19年9月から3年間弓浜絣作りを学んだ。<br /> 「信州大学の繊維学部に進学し、さらに世界の民族衣装を研究しようと大学院へ進む準備をしていたところ、研修生の募集を知りました。弓浜絣はよその家では普通に作られていると思っていたので、生業とする人がいなくなりそうと聞いてびっくり。『世界の民俗より、地元が大変だ!』って、応募したんです」。<br /> 研修では、県無形文化財保持者の嶋田悦子さんにつきっきりで指導を受けた。平成24年「弓浜絣工房B」を立ち上げて、独立。糸の染めを外注するほかは、綿繰りから織りまで一人で行う。自宅の畑では伯州綿を栽培し、材料の一部に使用。農薬を用いないため夏の草取りが大変だが、父親が手を貸してくれる。<br /> 機は、組合から譲り受けた大正時代のもの。よこ糸を通すたびに慎重に柄を合わせるため、一日に織れる布は多くて1mほどだという。月や花など自身が欲しいと思う柄を考案しながら、バッグやエプロン、洋服や生活雑貨、アクセサリーなどを製作する。<br /> 昨年、佛坂さんはトヨタ自動車による、全国の若手工芸作家を応援する「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT 2016」の一員に選出された。アドバイザーとともに、弓浜絣と伯州綿を用いたトートバッグを開発。この夏、県内や全国で販売される予定だ。<br /> 「弓浜絣には、大きな可能性があると思います。歴史は長いですがここ50年ほどで考えると流通量はまだわずか。これから広がる余地があるので、開拓のしがいがありますね」とにっこり。<br /> 夢は、たくさんの人を雇える工房になること。そのためには、弓浜絣を人々の暮らしにもっと浸透させたいと前を見据える。「自分がいる前後100年を繋がないと。私より若い生産者が少ないので、次世代を育てたい」。需要が増え、生業としての安定性が上がること、ひいては絣産業全体の振興が目標だ。

「作り続けられているということは、良いと思って使い続ける人がいるということ。その良さを伝えたい」と佛坂香奈子さん

 自治体も後継者育成に力を入れている。組合が主催し、国と鳥取県、境港市、米子市が支援して弓浜絣後継者養成研修を実施。1期3年の課程で、これまで2期6人が修了し、絣に携わる仕事をしている。境港市出身・在住の佛坂香奈子さんは1期生の一人。平成19年9月から3年間弓浜絣作りを学んだ。
 「信州大学の繊維学部に進学し、さらに世界の民族衣装を研究しようと大学院へ進む準備をしていたところ、研修生の募集を知りました。弓浜絣はよその家では普通に作られていると思っていたので、生業とする人がいなくなりそうと聞いてびっくり。『世界の民俗より、地元が大変だ!』って、応募したんです」。
 研修では、県無形文化財保持者の嶋田悦子さんにつきっきりで指導を受けた。平成24年「弓浜絣工房B」を立ち上げて、独立。糸の染めを外注するほかは、綿繰りから織りまで一人で行う。自宅の畑では伯州綿を栽培し、材料の一部に使用。農薬を用いないため夏の草取りが大変だが、父親が手を貸してくれる。
 機は、組合から譲り受けた大正時代のもの。よこ糸を通すたびに慎重に柄を合わせるため、一日に織れる布は多くて1mほどだという。月や花など自身が欲しいと思う柄を考案しながら、バッグやエプロン、洋服や生活雑貨、アクセサリーなどを製作する。
 昨年、佛坂さんはトヨタ自動車による、全国の若手工芸作家を応援する「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT 2016」の一員に選出された。アドバイザーとともに、弓浜絣と伯州綿を用いたトートバッグを開発。この夏、県内や全国で販売される予定だ。
 「弓浜絣には、大きな可能性があると思います。歴史は長いですがここ50年ほどで考えると流通量はまだわずか。これから広がる余地があるので、開拓のしがいがありますね」とにっこり。
 夢は、たくさんの人を雇える工房になること。そのためには、弓浜絣を人々の暮らしにもっと浸透させたいと前を見据える。「自分がいる前後100年を繋がないと。私より若い生産者が少ないので、次世代を育てたい」。需要が増え、生業としての安定性が上がること、ひいては絣産業全体の振興が目標だ。
■組合を拠点に県内外へPR ファンを広げる地元の誇り
 組合では、弓浜絣のPR活動や受発注のとりまとめなどを行っている。毎年「弓浜がすり伝承館」に地元の小学生が絣作りの体験学習に訪れるほか、中学・高校生の学習に応じる。子どもたちの感想からは「機織りが上手にできた」「こんなきれいな着物を作って着てみたい」など、弓浜絣への興味が伺える。「少しでも関心を持ってもらって、将来は生産に携わってくれたら嬉しいですね」と、田中さんは目を細める。<br /> 夏にはアジア博物館・井上靖記念館で展示販売会を開催する。多くの作品を展示するとともに数々の道具を持ち込み、絣作りの実演を披露。その様子を見て、「自分も習いたい」と願い出る人もいた。東京、大阪での展示会も毎回好評。外国人にも人気がある。<br /> 田中さんも佛坂さんも「地元にはこんな素晴らしいものがあると誇り、地域外の人にも伝える存在でありたい」と話す。 <br /> およそ300年、時に消えそうになりながらも、暮らしに寄り添ってきた弓浜絣。その魅力は改めて現代の人々の心を捉え、全国にもファンを増やしている。<br /> 「パッタン、トントン」。弓浜半島の青空に、今日も機を織る音が響く。そんな光景がいつまでも続くようにと願ってやまない。<br /> 文/飯田若菜

鳥取県弓浜絣協同組合理事長、田中博文さん。「工房ゆみはま」の絣生産者でもある

 組合では、弓浜絣のPR活動や受発注のとりまとめなどを行っている。毎年「弓浜がすり伝承館」に地元の小学生が絣作りの体験学習に訪れるほか、中学・高校生の学習に応じる。子どもたちの感想からは「機織りが上手にできた」「こんなきれいな着物を作って着てみたい」など、弓浜絣への興味が伺える。「少しでも関心を持ってもらって、将来は生産に携わってくれたら嬉しいですね」と、田中さんは目を細める。
 夏にはアジア博物館・井上靖記念館で展示販売会を開催する。多くの作品を展示するとともに数々の道具を持ち込み、絣作りの実演を披露。その様子を見て、「自分も習いたい」と願い出る人もいた。東京、大阪での展示会も毎回好評。外国人にも人気がある。
 田中さんも佛坂さんも「地元にはこんな素晴らしいものがあると誇り、地域外の人にも伝える存在でありたい」と話す。
 およそ300年、時に消えそうになりながらも、暮らしに寄り添ってきた弓浜絣。その魅力は改めて現代の人々の心を捉え、全国にもファンを増やしている。
 「パッタン、トントン」。弓浜半島の青空に、今日も機を織る音が響く。そんな光景がいつまでも続くようにと願ってやまない。
 文/飯田若菜

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