大津市「びわこと」| 2017年8月号掲載

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ボートレーサー 守田俊介

感謝の心を胸に、水上を駆け抜ける

天才肌でありながら、おどけた仕草でそれを隠す。
誰からも親しまれるキャラクターは、多くのファンを引きつけてやまない。
ボートレーサー最上位であるA1級きっての猛者、守田俊介選手。
目標は通算2000勝、そして全ボートレース場、24場制覇。
いの一番に躍り出る、守田艇の活躍を期待する人は多い。

■抜きん出たスタート勘と 天性の操艇術
 きわどい死線をかいくぐり、ギリギリのスタートを見極める名選手なら、目つきの鋭い勝負師だろう。そんな予想は、守田選手にはまったく当てはまらない。「あのスタートは良すぎましたね。あれはたまたまですよ」。あっけらかんと、おどけてみせる。<br /> 京都府生まれの守田選手は、ボートレース好きの祖父に連れられて、自宅そばの三国ボートレース場に通った。「公営競技なら家計を楽にできそう、というイメージはありました。でも、競馬には縁がなかったし、競輪は1週間のトレーニングでバテてしまって。ボートレースはいわば、消去法で残った最後の選択肢。高校時代に『年齢17歳0ヶ月から、身長は170センチ以内』というチラシを見たんです。当時、身長168・5センチで伸び盛りでしたから、ギリギリでした。これも、たまたまです」。<br /> 74期生の最年少選手として山梨県本栖湖のボートレーサー養成所(現在は福岡県に移転)に入所してからは、毎日、体が動かなくなるまで艇に乗った。1994年、びわこボートレース場でデビューし、2年後には初優勝。同年にSG初出場を果たし、めきめきと頭角を現した。1997年には、約1600人のレーサーの上位2割しか取得できない最難関のA1級に昇格。天才と称される反面、「エンジンの調整は適当にやる『適当力』がキモ」と話す。独特のユルさが、多くのファンを引きつけている。<br /> そんな守田選手が、SG賞金を全額、東日本大震災への義援金とした。ニュースを聞いた人は、あっけにとられたに違いない。「実はボランティアで現地入りしたんですけど、映像で見るよりはるかに怖くて。逃げ帰った自分を責めて、もしSGに勝ったら、全額を寄付しようと決意したんです。振り返れば、たまたまできた優勝。僕みたいなヘタレがレーサーになれたのも、同期に恵まれたのも、全部たまたま。『よくやった』『お前は俺らの誇りだ』っていうファンや同期の言葉をもらえただけで十分です」。会話には、幾度となく「たまたま」が出てくる。自らに起きた奇跡に感謝し、「一生に一回の恩返しと思い出づくり」と笑い飛ばす。<br /> 年に何度も琵琶湖を見に行き、滋賀県の四季を感じ、こよなく愛する「ローリングシースー」(守田語で回転寿司)を頬張る。贅沢な車には乗らず、派手なファッションにも興味がなく、「いま、生きているだけで幸せ」と語る。守田選手のエネルギーの源は、ポジティブなハートにありそうだ。<br /> 「今度賞金を獲れたら、また世の中の役に立てればいい」。ボートレースの申し子はかっこよく誓ったが、別れ際には、ちらりと茶目っ気をのぞかせた。「あ、いっておきますけど、今度こそ賞金でローリングシースーをたらふく食いますよ」。<br />文/成清 陽

「努力してないって思われがちだけど、本当はしてます!」と、冗談を飛ばす天才肌。親しみやすい守田選手の活躍を願うファンは多い。「60歳を超えても元気に艇に乗っていたい」と活躍を誓う

 「インコース1号艇の守田俊介、ただひとりスタートはゼロ台!」。アナウンサーの興奮した声とギャラリーの声援、トップレーサーが操る6艇のエンジン音が、浜名湖ボートレース場の大気を切り裂いた。2015年10月25日、ボートレーサーならば誰もが夢見る大舞台、日本最高峰のレース・SG(スペシャルグレード)第62回ボートレースダービー優勝戦。守田俊介選手の爆速スタートに、居合わせたファンはもちろん、お茶の間も実況席も度肝を抜かれた。
 レースのスタートは、一般的な「ヨーイドン」ではなく、スタートラインに設置された大時計の針が0~1秒を刻む間にスタートをまたぐフライングスタート方式を採用している。限りなく0秒に近いスタートを切れば有利になるいっぽうで、時計の針が1秒間を刻む前ならフライング、1秒以上では出遅れとなる。どちらも欠場扱いとなるうえ、SGの優勝戦でフライングすると1年間SGレースに出場ができないなど、厳しい罰則が科される。この大会で、守田選手が叩き出したスタートタイミング(スタート0秒を基準としたときの誤差)は0・06秒。トップレーサーの平均スタートタイミングである0・15秒の半分未満という、驚くべき数値だ。
 1周600メートルの水上コースを3周するボートレース。もうひとつの見どころが、各レーサーの得意とする戦術が火花を散らす、ターンマーク(コーナー)での攻防だ。先に他艇を先行させて内側を抜く「差し」、外側を回って追い抜く「まくり」のほか、外側から艇を寄せ、波を利用して内側の艇の速度を抑えて抜き去る「ツケマイ」などがある。ボートレースは一瞬たりとも目が離せない。
 冒頭のレースでの守田選手の戦術は「逃げ」。鋭利なターンで攻め続けてSG初優勝を飾り、賞金3500万円と、栄えあるタイトルを手にした。
■人知れぬ努力を重ね 才能を開花させる
 きわどい死線をかいくぐり、ギリギリのスタートを見極める名選手なら、目つきの鋭い勝負師だろう。そんな予想は、守田選手にはまったく当てはまらない。「あのスタートは良すぎましたね。あれはたまたまですよ」。あっけらかんと、おどけてみせる。<br /> 京都府生まれの守田選手は、ボートレース好きの祖父に連れられて、自宅そばの三国ボートレース場に通った。「公営競技なら家計を楽にできそう、というイメージはありました。でも、競馬には縁がなかったし、競輪は1週間のトレーニングでバテてしまって。ボートレースはいわば、消去法で残った最後の選択肢。高校時代に『年齢17歳0ヶ月から、身長は170センチ以内』というチラシを見たんです。当時、身長168・5センチで伸び盛りでしたから、ギリギリでした。これも、たまたまです」。<br /> 74期生の最年少選手として山梨県本栖湖のボートレーサー養成所(現在は福岡県に移転)に入所してからは、毎日、体が動かなくなるまで艇に乗った。1994年、びわこボートレース場でデビューし、2年後には初優勝。同年にSG初出場を果たし、めきめきと頭角を現した。1997年には、約1600人のレーサーの上位2割しか取得できない最難関のA1級に昇格。天才と称される反面、「エンジンの調整は適当にやる『適当力』がキモ」と話す。独特のユルさが、多くのファンを引きつけている。<br /> そんな守田選手が、SG賞金を全額、東日本大震災への義援金とした。ニュースを聞いた人は、あっけにとられたに違いない。「実はボランティアで現地入りしたんですけど、映像で見るよりはるかに怖くて。逃げ帰った自分を責めて、もしSGに勝ったら、全額を寄付しようと決意したんです。振り返れば、たまたまできた優勝。僕みたいなヘタレがレーサーになれたのも、同期に恵まれたのも、全部たまたま。『よくやった』『お前は俺らの誇りだ』っていうファンや同期の言葉をもらえただけで十分です」。会話には、幾度となく「たまたま」が出てくる。自らに起きた奇跡に感謝し、「一生に一回の恩返しと思い出づくり」と笑い飛ばす。<br /> 年に何度も琵琶湖を見に行き、滋賀県の四季を感じ、こよなく愛する「ローリングシースー」(守田語で回転寿司)を頬張る。贅沢な車には乗らず、派手なファッションにも興味がなく、「いま、生きているだけで幸せ」と語る。守田選手のエネルギーの源は、ポジティブなハートにありそうだ。<br /> 「今度賞金を獲れたら、また世の中の役に立てればいい」。ボートレースの申し子はかっこよく誓ったが、別れ際には、ちらりと茶目っ気をのぞかせた。「あ、いっておきますけど、今度こそ賞金でローリングシースーをたらふく食いますよ」。<br />文/成清 陽

各選手がコースを決めるのは、ピットアウトからスタートまでの約1周の間。誰しも有利になるインコースを取りたいが、急ぎすぎれば、スタートラインまでの距離が短くなる。フライングのリスクが高まってしまうのだ。アウトコースはデメリットも多いが、あえてスタートラインから大きく離れ、助走をつけてターンマークでインに鋭く切り込む戦略をとる艇もある

 きわどい死線をかいくぐり、ギリギリのスタートを見極める名選手なら、目つきの鋭い勝負師だろう。そんな予想は、守田選手にはまったく当てはまらない。「あのスタートは良すぎましたね。あれはたまたまですよ」。あっけらかんと、おどけてみせる。
 京都府生まれの守田選手は、ボートレース好きの祖父に連れられて、自宅そばの三国ボートレース場に通った。「公営競技なら家計を楽にできそう、というイメージはありました。でも、競馬には縁がなかったし、競輪は1週間のトレーニングでバテてしまって。ボートレースはいわば、消去法で残った最後の選択肢。高校時代に『年齢17歳0ヶ月から、身長は170センチ以内』というチラシを見たんです。当時、身長168・5センチで伸び盛りでしたから、ギリギリでした。これも、たまたまです」。
 74期生の最年少選手として山梨県本栖湖のボートレーサー養成所(現在は福岡県に移転)に入所してからは、毎日、体が動かなくなるまで艇に乗った。1994年、びわこボートレース場でデビューし、2年後には初優勝。同年にSG初出場を果たし、めきめきと頭角を現した。1997年には、約1600人のレーサーの上位2割しか取得できない最難関のA1級に昇格。天才と称される反面、「エンジンの調整は適当にやる『適当力』がキモ」と話す。独特のユルさが、多くのファンを引きつけている。
 そんな守田選手が、SG賞金を全額、東日本大震災への義援金とした。ニュースを聞いた人は、あっけにとられたに違いない。「実はボランティアで現地入りしたんですけど、映像で見るよりはるかに怖くて。逃げ帰った自分を責めて、もしSGに勝ったら、全額を寄付しようと決意したんです。振り返れば、たまたまできた優勝。僕みたいなヘタレがレーサーになれたのも、同期に恵まれたのも、全部たまたま。『よくやった』『お前は俺らの誇りだ』っていうファンや同期の言葉をもらえただけで十分です」。会話には、幾度となく「たまたま」が出てくる。自らに起きた奇跡に感謝し、「一生に一回の恩返しと思い出づくり」と笑い飛ばす。
 年に何度も琵琶湖を見に行き、滋賀県の四季を感じ、こよなく愛する「ローリングシースー」(守田語で回転寿司)を頬張る。贅沢な車には乗らず、派手なファッションにも興味がなく、「いま、生きているだけで幸せ」と語る。守田選手のエネルギーの源は、ポジティブなハートにありそうだ。
 「今度賞金を獲れたら、また世の中の役に立てればいい」。ボートレースの申し子はかっこよく誓ったが、別れ際には、ちらりと茶目っ気をのぞかせた。「あ、いっておきますけど、今度こそ賞金でローリングシースーをたらふく食いますよ」。
文/成清 陽

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