長浜市「botejako倶楽部」| 2012年12月号掲載

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小形ディーゼルエンジンのパイオニア生きてあり

ヤンマー創業者 山岡孫吉のこころ

ニッポンが世界で一番輝いていた時代、一騎当千、獅子奮迅の活躍をした湖北の先人がいた。
昭和の黎明期を支え、戦後の日本をつくりあげた男。
「世界のディーゼル王」と呼ばれたヤンマー創業者の山岡孫吉もその一人だった。
貧しい農家に生まれ、エンジンの小型化にこだわったのも過酷な農作業の軽減に役立つものを作りたいという執念からだった。
生涯ふるさとを誇りにしていた孫吉は、1962(昭和37)年、74歳でこの世を去ったが、地元の人たちは今でも孫吉翁を「ヤンマーさん」と親しむ。

 ここに40年近く前にヤンマーディーゼル株式会社から出版された一冊の本がある。1959(昭和34)年12月に日本経済新聞に連載された孫吉の手記をB6サイズ・100ページあまりの本にまとめたもので、タイトルは『山岡孫吉 私の履歴書』。これは孫吉が亡くなる3年前、71歳のときに自分の一生を振り返って書いたものだった。とりわけ巻頭と巻末を飾る一文が印象深い。
■美しい世界は感謝の心から
 「人生というものは、運・不運に左右されることも大きかろうが、それでも誠実さと感謝の心を失わないで努力しておれば、よき協力者を得て道も開け、人から感謝もされて、美しい世界がおのずから展開してくるのではないだろうか。最近のこんな心境が、はからずも鐘の銘のことばとなったのである。とはいえ、こうした境地に達するまでには、数多くの経験を積んでこなければならなかった」<br /> 文中の鐘とは東京麻布の駐日西独大使館(現・ドイツ連邦共和国大使館)の地内に残っていた古い鐘楼に59年7月、孫吉が寄贈したつり鐘のこと。「銘のことば」とは「美しい世界は感謝の心から」だった。つり鐘は今も大使公邸の庭園に残る。<br /> 『山岡孫吉 私の履歴書』ではこの一文をプロローグとして、孫吉の”エンジン一代記“が語られることになる。孫吉の座右の銘というべき「美しい世界は感謝の心から」の言葉は、ふるさと高月町の小中学校や公園に立つ石碑にも刻まれ、創業100周年を迎えたヤンマーでも創業者の精神として大切に引き継がれている。

孫吉翁

 「人生というものは、運・不運に左右されることも大きかろうが、それでも誠実さと感謝の心を失わないで努力しておれば、よき協力者を得て道も開け、人から感謝もされて、美しい世界がおのずから展開してくるのではないだろうか。最近のこんな心境が、はからずも鐘の銘のことばとなったのである。とはいえ、こうした境地に達するまでには、数多くの経験を積んでこなければならなかった」
 文中の鐘とは東京麻布の駐日西独大使館(現・ドイツ連邦共和国大使館)の地内に残っていた古い鐘楼に59年7月、孫吉が寄贈したつり鐘のこと。「銘のことば」とは「美しい世界は感謝の心から」だった。つり鐘は今も大使公邸の庭園に残る。
 『山岡孫吉 私の履歴書』ではこの一文をプロローグとして、孫吉の”エンジン一代記“が語られることになる。孫吉の座右の銘というべき「美しい世界は感謝の心から」の言葉は、ふるさと高月町の小中学校や公園に立つ石碑にも刻まれ、創業100周年を迎えたヤンマーでも創業者の精神として大切に引き継がれている。
■栄光の花道
 巻末を飾る一文は、孫吉が大先達としてかねがね尊敬していたディーゼルエンジンの発明家、ドイツのルドルフ・ディーゼル博士の功績を讃えて寄贈したディーゼル記念石庭苑の開苑式に臨んだときのことにふれている。57(昭和32)年10月6日、アウグスブルク市の公会堂で記念石庭苑の贈呈式が行われたあとの話だ。<br /> 「引きつづいて記念石庭苑の開苑式に臨むため、公会堂からビッテルバッハ公園へと十五分間の徒歩大行進に移って、この日の行事は最高潮に達した。開苑を祝うために集まったドイツ人の老若男女五万人。その大群衆からの親愛の呼びかけとかっさいは、ビッテルバッハの森にいくどもいくどもこだまし、沿道の小学生が打ち振る日の丸の旗は、陽光にはえて美しく長く続いていた。その中をミューラー市長に先導されながら、私は糟糠の妻淑乃とともに進んだのである。この行進こそは、私たち夫婦にとって、かつて想像することもなかった一世一代の晴れ姿だった。滋賀の湖北の百姓上がりの老エンジンメーカーが、はからずも、異国の地で達した”栄光の花道“であった」<br /> 歓迎ぶりが目の前に迫ってきそうな臨場感あふれる一文だ。「湖北の百姓上がりの老エンジンメーカー」と謙遜するのも孫吉らしい。

世界で初めて開発された小形横形水冷ディーゼルエンジン(HB形)

 巻末を飾る一文は、孫吉が大先達としてかねがね尊敬していたディーゼルエンジンの発明家、ドイツのルドルフ・ディーゼル博士の功績を讃えて寄贈したディーゼル記念石庭苑の開苑式に臨んだときのことにふれている。57(昭和32)年10月6日、アウグスブルク市の公会堂で記念石庭苑の贈呈式が行われたあとの話だ。
 「引きつづいて記念石庭苑の開苑式に臨むため、公会堂からビッテルバッハ公園へと十五分間の徒歩大行進に移って、この日の行事は最高潮に達した。開苑を祝うために集まったドイツ人の老若男女五万人。その大群衆からの親愛の呼びかけとかっさいは、ビッテルバッハの森にいくどもいくどもこだまし、沿道の小学生が打ち振る日の丸の旗は、陽光にはえて美しく長く続いていた。その中をミューラー市長に先導されながら、私は糟糠の妻淑乃とともに進んだのである。この行進こそは、私たち夫婦にとって、かつて想像することもなかった一世一代の晴れ姿だった。滋賀の湖北の百姓上がりの老エンジンメーカーが、はからずも、異国の地で達した”栄光の花道“であった」
 歓迎ぶりが目の前に迫ってきそうな臨場感あふれる一文だ。「湖北の百姓上がりの老エンジンメーカー」と謙遜するのも孫吉らしい。
■孫吉の郷土愛
 孫吉のふるさと東阿閉(あつじ)には、孫吉の足跡をたどる”遺物“が多く残る。その代表格がドイツ・ゴシック様式の尖塔を持つ通称「ヤンマー会館」と呼ばれる東阿閉公民館。52(昭和27)年に孫吉が私費を投じて生誕地に寄贈したものと言われる。公民館の前には記念石庭苑開苑式のときに孫吉夫婦を先導したミューラー市長が、58年に来村したときに植えた記念樹がそびえ、その横には孫吉翁の足跡を刻んだ顕彰碑や「山岡孫吉翁生誕之地 山岡淳男」と刻まれた石碑が並ぶ。<br /> 公民館近くには孫吉が寄贈した東阿閉児童公園がある。通称「ヤンマー記念公園」と呼ばれ、公園の隅には、公民館を眺めるように立つ孫吉・淑乃夫婦の銅像や「美しき世界は感謝の心から」と刻まれた石碑がある。<br /> ヤンマーは小形エンジン事業本部や研究所、グループ会社を湖北地方に置き、多くの雇用を生んでいる。創業者孫吉の地域に対する思いが息づいているのだ。<br /> また、ヤンマーは創業100周年記念事業として長浜市三和町に「ヤンマーミュージアム」(仮称)の建設を進めている。オープンは来年3月。創業の精神「美しき世界は感謝の心から」のもと、「地域への恩返しと日本の未来を担う子どもたちのために」とヤンマー広報はいう。創業者孫吉翁も目を細めているに違いない。

ヤンマー記念公園にある孫吉・淑乃夫婦の銅像

 孫吉のふるさと東阿閉(あつじ)には、孫吉の足跡をたどる”遺物“が多く残る。その代表格がドイツ・ゴシック様式の尖塔を持つ通称「ヤンマー会館」と呼ばれる東阿閉公民館。52(昭和27)年に孫吉が私費を投じて生誕地に寄贈したものと言われる。公民館の前には記念石庭苑開苑式のときに孫吉夫婦を先導したミューラー市長が、58年に来村したときに植えた記念樹がそびえ、その横には孫吉翁の足跡を刻んだ顕彰碑や「山岡孫吉翁生誕之地 山岡淳男」と刻まれた石碑が並ぶ。
 公民館近くには孫吉が寄贈した東阿閉児童公園がある。通称「ヤンマー記念公園」と呼ばれ、公園の隅には、公民館を眺めるように立つ孫吉・淑乃夫婦の銅像や「美しき世界は感謝の心から」と刻まれた石碑がある。
 ヤンマーは小形エンジン事業本部や研究所、グループ会社を湖北地方に置き、多くの雇用を生んでいる。創業者孫吉の地域に対する思いが息づいているのだ。
 また、ヤンマーは創業100周年記念事業として長浜市三和町に「ヤンマーミュージアム」(仮称)の建設を進めている。オープンは来年3月。創業の精神「美しき世界は感謝の心から」のもと、「地域への恩返しと日本の未来を担う子どもたちのために」とヤンマー広報はいう。創業者孫吉翁も目を細めているに違いない。

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