Yuika| 2017年12月号掲載

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花井精機のオリジナルハンドベル

飯田から世界へ。新たな分野への挑戦

きれいな大気と水に恵まれた長野県は、精密機器をはじめとするものづくりが盛んな地域だ。
飯田市にも、部品などを製造する企業が多く所在している。そのひとつである有限会社花井精機は、
いま楽器づくりという新たな分野を果敢に開拓している。

■「理想探求」の理念を掲げる 飯田市の部品メーカー
 そんな花井精機が10年ほど前から挑戦しているのはハンドベル製造だ。きっかけは研修の一環で、入社2〜3年目の社員にさせていた鈴づくり。設計から製造までひとりでつくり上げた鈴は、一般的な形状のものから、銅鐸を模した形、小さなハンドベルまで社員の個性が反映されている。「展示会で、主力製品よりおまけで並べた鈴のほうが、反響の多い時もありました」と花井さん。販売しないのかという声が大きかったため、「楽器をつくってみよう」という思いが膨らんだという。<br /> 「数百円で買えるようなものづくりをしたくなかった」。そんな花井さんの思いから、最初は花井精機の技術を詰め込んだ精巧なミニチュアを検討した。しかし、大きさが異なるため、高い音しか出ない。企業理念と技術者としての矜持が、より完成度の高いハンドベルづくりへと導いた。<br /> 「飯田市の共同受註グループ『ネスク-イイダ』でも後押しをもらいました。飯田のものづくりの成功事例にしてほしいといわれ、平成22年に社内でキックオフ会議を行いました」。ハンドベルの構造から、青銅製の鐘(キャスティング)と中の振り子(クラッパー)、持ち手となるハンドルの3チームに分け、それぞれのチームで進行。月に一度の全体プロジェクトミーティングで、課題発表をしながら、自信を持って送り出せるハンドベルづくりにまい進した。

最初はおおよその形をつくり、削っていく。完成品になると、周囲が映り込むほどに磨かれている

 池井戸潤の大衆小説『下町ロケット』は、小さな町工場がロケットや高度な医療機器の部品開発に奮闘する姿を描き、人気を博した。こうした話はフィクションに限らず、全国各地でたびたび耳にする。東京都大田区の中小企業が協力して行った「下町ボブスレープロジェクト」は、ジャマイカ代表に採用され、地域のものづくりの力を国内外に発信した。技術大国日本を支えてきた中小企業は、大企業からの要求に応え続けてきた下地がある。だからこそ、畑違いのものでもメイド・イン・ジャパンにふさわしい製品を生み出せる力を持っているのだ。
 飯田市にある有限会社花井精機も、そんな中小企業の一つである。高い精度を求められる医療機器の部品を製造する傍ら、温かな音色を奏でるハンドベルを新製品として生み出した。ハンドベルは単音ではなく、倍音、3倍音を一緒に奏でて膨らみある音が生まれる。花井精機のハンドベルは、その要求に応えながら、国産らしい丁寧な仕上がりで、国内外の奏者から期待を寄せられているという。
 創業は昭和42年。当初、時計やカメラのネジを製造していた。しかし、大量生産品の部品に安価な海外製品が用いられるようになり、その都度主力製品を切り替えてきた。牽引するのは、今年52歳を迎える花井精機代表取締役の花井孝文さんだ。「29歳の時に、父が急逝しました。もともと父の背中を追いかけてきたので、いずれ跡を継ぎたいと思っていましたが、経営について学ぶ前に父を失ってしまったので、何もかもが手探りでした」と振り返った。父と同じ技術者を志し、大学卒業後は日本鋼管株式会社(現JFEエンジニアリング株式会社)でソフトウェア開発に携わった。「畑違いでしたが、同じ技術者です。継いだばかりの時は、技術者としての目線が抜けず、企業理念は社長の押しつけ。個々の技術があれば、仕事は来る。という考えを持っていましたね」
 自分が納得のいく仕事をするために、朝から晩まで休みなく働いた。そんなある日、飯田精密機械工業会の会合で、企業理念の大切さを教わったという。「ボートはがむしゃらに漕いでも前に進まない。舵を切る役割の人が必要」。他の経営者からのアドバイスに感化され、数年かけて企業理念を定めた。「理想探求」。社員が自らの仕事を探し求め、取引先にとっては理想のパートナーであるように、という思いが込められている。
■社員研修をきっかけに 新たな事業をスタート
 そんな花井精機が10年ほど前から挑戦しているのはハンドベル製造だ。きっかけは研修の一環で、入社2〜3年目の社員にさせていた鈴づくり。設計から製造までひとりでつくり上げた鈴は、一般的な形状のものから、銅鐸を模した形、小さなハンドベルまで社員の個性が反映されている。「展示会で、主力製品よりおまけで並べた鈴のほうが、反響の多い時もありました」と花井さん。販売しないのかという声が大きかったため、「楽器をつくってみよう」という思いが膨らんだという。<br /> 「数百円で買えるようなものづくりをしたくなかった」。そんな花井さんの思いから、最初は花井精機の技術を詰め込んだ精巧なミニチュアを検討した。しかし、大きさが異なるため、高い音しか出ない。企業理念と技術者としての矜持が、より完成度の高いハンドベルづくりへと導いた。<br /> 「飯田市の共同受註グループ『ネスク-イイダ』でも後押しをもらいました。飯田のものづくりの成功事例にしてほしいといわれ、平成22年に社内でキックオフ会議を行いました」。ハンドベルの構造から、青銅製の鐘(キャスティング)と中の振り子(クラッパー)、持ち手となるハンドルの3チームに分け、それぞれのチームで進行。月に一度の全体プロジェクトミーティングで、課題発表をしながら、自信を持って送り出せるハンドベルづくりにまい進した。

アジアフェスティバルには国内外から多くの人が訪れ、奏者の感想を聞けた

 そんな花井精機が10年ほど前から挑戦しているのはハンドベル製造だ。きっかけは研修の一環で、入社2〜3年目の社員にさせていた鈴づくり。設計から製造までひとりでつくり上げた鈴は、一般的な形状のものから、銅鐸を模した形、小さなハンドベルまで社員の個性が反映されている。「展示会で、主力製品よりおまけで並べた鈴のほうが、反響の多い時もありました」と花井さん。販売しないのかという声が大きかったため、「楽器をつくってみよう」という思いが膨らんだという。
 「数百円で買えるようなものづくりをしたくなかった」。そんな花井さんの思いから、最初は花井精機の技術を詰め込んだ精巧なミニチュアを検討した。しかし、大きさが異なるため、高い音しか出ない。企業理念と技術者としての矜持が、より完成度の高いハンドベルづくりへと導いた。
 「飯田市の共同受註グループ『ネスク-イイダ』でも後押しをもらいました。飯田のものづくりの成功事例にしてほしいといわれ、平成22年に社内でキックオフ会議を行いました」。ハンドベルの構造から、青銅製の鐘(キャスティング)と中の振り子(クラッパー)、持ち手となるハンドルの3チームに分け、それぞれのチームで進行。月に一度の全体プロジェクトミーティングで、課題発表をしながら、自信を持って送り出せるハンドベルづくりにまい進した。
■諦めなければ失敗ではない より良いものづくりを日々探求
 「自分たちが楽器職人になれるのか」。当初は、社員の間でも不安な声が上がっていたという。仕様が細かく定まっている部品とは異なり、自分たちで創意工夫をしながらものづくりをしていくのは、これまでにない挑戦だった。図面を起こし、その通りにつくっても、なかなかいいものができない。そんな日々の中で、前へ進む原動力になったのが若手社員たちである。「自然と社員間でコミュニケーションを取り合う機会が増えました。皆で高め合いながら、課題を一緒に乗り越えよう。社内がポジティブな雰囲気に満ちて、ハンドベルはもちろん、元々製造していたものも質が高まりました」と花井さんは笑顔を向ける。<br /> 日本ハンドベル連盟からは、「世界に通用するメーカーになって欲しい」と期待を寄せられつつ、協力を受ける。周波数を測定しながら、少しずつ理想のハンドベルを形にしていった。ものができてくると、最初は訝しげだった周囲の会社の姿勢も変わる。高級車と同じ素材でつくられたハンドルなど、協力してくれる他の会社も前のめりでハンドベルづくりに向き合ってくれるようになった。<br /> 少しずつ完成度を高め、今年8月18日を迎える。1オクターブ分のハンドベルを、日本ハンドベル連盟が主催した40周年記念アジアフェスティバルに持ち込んだ。世界各国から集まった約600人の奏者に、感想を求めたのだ。細部までとことん突き詰めた製品だけに、丁寧な仕事は高く評価された。しかし、「この音は硬い」「こっちは柔らかい」など、数値だけではわからない、感覚的な部分への注文も少なくなかった。<br /> 「4グループから購入の打診を受けました。ですが、納得がいくものを提供したくて、いまは待ってもらっています。来年、オーストラリアで開催予定の世界大会には、2オクターブ分の完成品を持っていきたいですね」<br /> 今後、ハンドベルの製造はもちろん、日本らしいオリジナル楽器や、害獣の嫌がる音、癒しの音を出す製品なども開発していきたいと花井さん。「理想探求」の日々は続くが、「止めない限り、失敗ではない」と前を向く。わがまち発の製品が、世界に誇れる日も遠くはないだろう。<br />文/野村亮輔

社員研修でつくられた鈴。社員の個性が、デザインに生かされている。この鈴からハンドベル製造が始まった

 「自分たちが楽器職人になれるのか」。当初は、社員の間でも不安な声が上がっていたという。仕様が細かく定まっている部品とは異なり、自分たちで創意工夫をしながらものづくりをしていくのは、これまでにない挑戦だった。図面を起こし、その通りにつくっても、なかなかいいものができない。そんな日々の中で、前へ進む原動力になったのが若手社員たちである。「自然と社員間でコミュニケーションを取り合う機会が増えました。皆で高め合いながら、課題を一緒に乗り越えよう。社内がポジティブな雰囲気に満ちて、ハンドベルはもちろん、元々製造していたものも質が高まりました」と花井さんは笑顔を向ける。
 日本ハンドベル連盟からは、「世界に通用するメーカーになって欲しい」と期待を寄せられつつ、協力を受ける。周波数を測定しながら、少しずつ理想のハンドベルを形にしていった。ものができてくると、最初は訝しげだった周囲の会社の姿勢も変わる。高級車と同じ素材でつくられたハンドルなど、協力してくれる他の会社も前のめりでハンドベルづくりに向き合ってくれるようになった。
 少しずつ完成度を高め、今年8月18日を迎える。1オクターブ分のハンドベルを、日本ハンドベル連盟が主催した40周年記念アジアフェスティバルに持ち込んだ。世界各国から集まった約600人の奏者に、感想を求めたのだ。細部までとことん突き詰めた製品だけに、丁寧な仕事は高く評価された。しかし、「この音は硬い」「こっちは柔らかい」など、数値だけではわからない、感覚的な部分への注文も少なくなかった。
 「4グループから購入の打診を受けました。ですが、納得がいくものを提供したくて、いまは待ってもらっています。来年、オーストラリアで開催予定の世界大会には、2オクターブ分の完成品を持っていきたいですね」
 今後、ハンドベルの製造はもちろん、日本らしいオリジナル楽器や、害獣の嫌がる音、癒しの音を出す製品なども開発していきたいと花井さん。「理想探求」の日々は続くが、「止めない限り、失敗ではない」と前を向く。わがまち発の製品が、世界に誇れる日も遠くはないだろう。
文/野村亮輔

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