栗東市「リクォラ」| 2018年9月号掲載

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土砂災害から5年 五百井(いおのい)神社

もう一度、この地へ

平成25年9月、台風18号の記録的な豪雨により、
安養寺山の複数個所で土砂崩れが発生した。
土砂が民家を襲い、1人の命を奪ったほか、山の南麓に
鎮座していた五百井神社も、その姿の大半を失った。
氏子で構成する復興委員会に、
当時の様子と復興への道のりを伺った。

■千年以上の歴史を誇る 下戸山地域の守り神
 「総代、みなあらへんで!」。早朝5時、当時の氏子総代・佐野勝久さんのもとに、近所の住人が血相を変えて訪れた。「あらへんて、どういうことや?」「神社や!」<br /> 現場へ向かった佐野さんは愕然とした。用水路が冠水し、神社への通路も水没。泥水の中に浮かぶ鳥居の先、社殿があったはずの場所は、大量の倒木と土砂に埋もれていた。「テレビでしか見たことのない光景。まさか身近で起こるとは」と当時の様子を語るのは、氏子総代の南出儀一郎さん。同じく氏子総代の青地勲さんとともに、3人は途方に暮れた。<br /> 「まずは御神体を見つけんと……」。水が引き切ったのは、豪雨から約2週間後。重機を入れて捜索を開始し、発見に至ったのは10月3日だった。「私たちも御神体を見るのは初めてだった」と佐野さんは語る。御神体とともに、存在を知られていなかった木造の獅子・狛犬像も発見された。神輿蔵からは2体の神輿が回収された。木に守られる位置に蔵があったおかげで、ともに一部破損程度にとどまった。「私たちの幼少期には、祭りで神輿を担ぐのが何よりの楽しみでしてなぁ」と、佐野さんは不幸中の幸運に目を細める。<br /> 神社を御旅所境内へ移した後、氏子総代たちは頭を抱えた。「これから神社をどうしていくのが良いのだろう?」。総意を求め、氏子にアンケートを実施した。約70人の氏子からさまざまな意見が上がったものの、再建を望む声が多数を占めた。「再建できるのかどうか不安でしたが、氏子たちの声を聞いて『がんばって復興しよう!』という気になりましたね」と青地さん、南出さんは懐かしむ。<br />

被災直後の様子。鳥居の足元にある石碑の「社」の字まで水没している。土砂崩れはここだけでなく、安養寺山の複数個所で発生した。神社に人はいなかったが、近隣の民家で1人が亡くなった

 目川から下戸山方面へ。名神高速道路の高架下を抜け、川沿いを1キロほど走ると、左手側にぽつりと鳥居が建っている。額束には「蘆井神社」とある。背後の安養寺山には痛々しい土砂崩れ跡が残る。再建中の社殿には防災シートが掛かっていた。
 創立年代は明らかでないが、社伝によると、仁寿元(851)年1月に正六位上を授けられたというから、少なくとも千年以上の歴史があると考えられる。鎌倉時代後期の『夫木和歌抄』には、「あふみなる いほの井川の水すみて ちとせのかげの みえわたるかな」とある。社名は、社の南西を流れる金勝川の旧名「蘆井川」に由来する説がある。現在は読みをそのままに「五百井」と表記する。経緯不詳だが、社が所蔵する卯月本殿屋根葺替棟札に「五百井殿、上葺勸進人數事」とあるため、大永4(1524)年ごろには五百井の字が使われていたことは明白である。
 金勝川がたびたび氾濫する事情もあり、社殿は大破と再建を繰り返してきたが、安政5(1858)年の本殿再建を最後に、平成の時分までその姿を残してきた。
 ところが、平成25年9月16日未明、近畿地方を襲った台風18号により、安養寺山の複数個所で土砂崩れが発生。千年以上の歴史を誇る五百井神社は、一夜にして土砂の下敷きになった。
■土砂災害によって失われた 神社の再建をめざす
 「総代、みなあらへんで!」。早朝5時、当時の氏子総代・佐野勝久さんのもとに、近所の住人が血相を変えて訪れた。「あらへんて、どういうことや?」「神社や!」<br /> 現場へ向かった佐野さんは愕然とした。用水路が冠水し、神社への通路も水没。泥水の中に浮かぶ鳥居の先、社殿があったはずの場所は、大量の倒木と土砂に埋もれていた。「テレビでしか見たことのない光景。まさか身近で起こるとは」と当時の様子を語るのは、氏子総代の南出儀一郎さん。同じく氏子総代の青地勲さんとともに、3人は途方に暮れた。<br /> 「まずは御神体を見つけんと……」。水が引き切ったのは、豪雨から約2週間後。重機を入れて捜索を開始し、発見に至ったのは10月3日だった。「私たちも御神体を見るのは初めてだった」と佐野さんは語る。御神体とともに、存在を知られていなかった木造の獅子・狛犬像も発見された。神輿蔵からは2体の神輿が回収された。木に守られる位置に蔵があったおかげで、ともに一部破損程度にとどまった。「私たちの幼少期には、祭りで神輿を担ぐのが何よりの楽しみでしてなぁ」と、佐野さんは不幸中の幸運に目を細める。<br /> 神社を御旅所境内へ移した後、氏子総代たちは頭を抱えた。「これから神社をどうしていくのが良いのだろう?」。総意を求め、氏子にアンケートを実施した。約70人の氏子からさまざまな意見が上がったものの、再建を望む声が多数を占めた。「再建できるのかどうか不安でしたが、氏子たちの声を聞いて『がんばって復興しよう!』という気になりましたね」と青地さん、南出さんは懐かしむ。<br />

後に重機で掘り起された神輿。それ以前にも氏子たちは力を合わせ、自分たちの手で救出を試みた

 「総代、みなあらへんで!」。早朝5時、当時の氏子総代・佐野勝久さんのもとに、近所の住人が血相を変えて訪れた。「あらへんて、どういうことや?」「神社や!」
 現場へ向かった佐野さんは愕然とした。用水路が冠水し、神社への通路も水没。泥水の中に浮かぶ鳥居の先、社殿があったはずの場所は、大量の倒木と土砂に埋もれていた。「テレビでしか見たことのない光景。まさか身近で起こるとは」と当時の様子を語るのは、氏子総代の南出儀一郎さん。同じく氏子総代の青地勲さんとともに、3人は途方に暮れた。
 「まずは御神体を見つけんと……」。水が引き切ったのは、豪雨から約2週間後。重機を入れて捜索を開始し、発見に至ったのは10月3日だった。「私たちも御神体を見るのは初めてだった」と佐野さんは語る。御神体とともに、存在を知られていなかった木造の獅子・狛犬像も発見された。神輿蔵からは2体の神輿が回収された。木に守られる位置に蔵があったおかげで、ともに一部破損程度にとどまった。「私たちの幼少期には、祭りで神輿を担ぐのが何よりの楽しみでしてなぁ」と、佐野さんは不幸中の幸運に目を細める。
 神社を御旅所境内へ移した後、氏子総代たちは頭を抱えた。「これから神社をどうしていくのが良いのだろう?」。総意を求め、氏子にアンケートを実施した。約70人の氏子からさまざまな意見が上がったものの、再建を望む声が多数を占めた。「再建できるのかどうか不安でしたが、氏子たちの声を聞いて『がんばって復興しよう!』という気になりましたね」と青地さん、南出さんは懐かしむ。
■復興は歴史上の通過点 まちに必要な存在へ
 瓦礫の撤去工事が進む中、佐野さんが中心となり、氏子より選出された11人で復興委員会を設立。約1年をかけて県内外の名だたる神社を視察し、再建後の姿を熟考した。氏子からの声も聞き、本殿と拝殿を一体化する以外は、被災前の姿を再現しようと決めた。「一度災害が起きた場所に再建するのを疑問視する声もありました。ですが、神様は千年以上も前から同じ場所にいたわけですから、人間の都合で勝手に移さないほうが良い、との結論に至りました」。県の山林部補強計画を説明するなど、復興委員会は反対の声にも真摯に向き合った。<br /> 平成29年6月から再建工事を開始。全国でも屈指の社寺建設実績を誇る西澤工務店(彦根市鳥居本)に依頼し、今年の7月14日に上棟祭を迎えた。一次工事は来年3月に完了、竣工式は6月に実施する見通しだ。<br /> 「一次工事を終えたら、ようやくひと段落できます」と佐野さんは表情を緩める。青地さん、南出さんは「復興はあくまで通過点。再建した神社をいかに地域に根づいた存在にするかが私たちの役目」と声をそろえる。「復興を通して、氏子であるなしに関わらず、地域の人々にもう一度地元のことを知ってもらい、愛着を持ってもらいたい。地域の絆が深まり、一致団結すれば、今後また起きるかもしれない自然災害への何よりの対策になります」<br /> かつて地域の領主が支えていた五百井神社は、今では市民の人々の手に支えられている。千年を超える歴史が二千年目を迎えたとき、史料の中できっと平成の時分が語られるだろう。その姿を焼き付ける機会は、今しかない。<br /><br /><br />文/編集室

今年の7月14日に行われた上棟祭には、約70人の氏子のほか、市長や下戸山自治会員も訪れた

 瓦礫の撤去工事が進む中、佐野さんが中心となり、氏子より選出された11人で復興委員会を設立。約1年をかけて県内外の名だたる神社を視察し、再建後の姿を熟考した。氏子からの声も聞き、本殿と拝殿を一体化する以外は、被災前の姿を再現しようと決めた。「一度災害が起きた場所に再建するのを疑問視する声もありました。ですが、神様は千年以上も前から同じ場所にいたわけですから、人間の都合で勝手に移さないほうが良い、との結論に至りました」。県の山林部補強計画を説明するなど、復興委員会は反対の声にも真摯に向き合った。
 平成29年6月から再建工事を開始。全国でも屈指の社寺建設実績を誇る西澤工務店(彦根市鳥居本)に依頼し、今年の7月14日に上棟祭を迎えた。一次工事は来年3月に完了、竣工式は6月に実施する見通しだ。
 「一次工事を終えたら、ようやくひと段落できます」と佐野さんは表情を緩める。青地さん、南出さんは「復興はあくまで通過点。再建した神社をいかに地域に根づいた存在にするかが私たちの役目」と声をそろえる。「復興を通して、氏子であるなしに関わらず、地域の人々にもう一度地元のことを知ってもらい、愛着を持ってもらいたい。地域の絆が深まり、一致団結すれば、今後また起きるかもしれない自然災害への何よりの対策になります」
 かつて地域の領主が支えていた五百井神社は、今では市民の人々の手に支えられている。千年を超える歴史が二千年目を迎えたとき、史料の中できっと平成の時分が語られるだろう。その姿を焼き付ける機会は、今しかない。


文/編集室

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