伊勢市・鳥羽市・玉城町「イセラクラブ®」| 2019年4月号掲載

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伊勢に生まれ、津で育った少年時代

日本アニメーションの礎を築いた一人 映画監督・高畑勲

新しい表現に挑み、「火垂るの墓」「平成狸合戦ぽんぽこ」「かぐや姫の物語」など
数々の話題作を世に送り続けたアニメーション映画監督の高畑勲氏。
享年八十二歳でこの世を去り、今年四月で丸一年が経つ。
稀代のアニメーション監督であり、プロデューサーでもある彼が
伊勢に生まれ、二歳で津に引っ越し、七歳まで三重で暮らしたことをご存じだろうか。

■作品から垣間見える 三重で過ごした幼少期
 三重県総合文化センターの情報誌『Mnews』でインタビュー記事を組むため、北村さんは東京小金井のスタジオジブリで高畑監督と会った。「大作をつくりあげてきたストイックなイメージと違って、とても気さくな方でした。津での幼少期のことも、覚えている限りをお話しくださって。甘いものがお好きなようで、手土産の和菓子をとても喜んでくださったのを覚えています」と当時を話す。会話中に身振り手振りが多く、エネルギッシュに誠意を持って応じる姿が印象的だったという。<br /> 『Mnews Vol.113』に取材時の写真が掲載されている。多忙な身でありながら、高畑監督は原稿の確認も丁寧に対応したそうだ。<br /> 講演会当日、「窓の外に広がる山の景色に興味を惹かれ、懐かしんでいる様子でした」と津駅からの往復のタクシーに同行した北村さん。『Mnews Vol.113』には「泳がなくたって渚で遊ぶだけで、そりゃもう面白くて。(中略)あんな素晴らしい遠浅っていっぱいあったんだろうけど、もう日本にないですよ」とある。高畑監督の「平成狸合戦ぽんぽこ」は、狸を主人公に自然と人間の対立・共存をコミカルに描いた作品だ。まだ「里山」という言葉が定着していない時代に発表されている。<br /> 講演会には子どもから高齢者まで、幅広い世代が集まった。「『鳥獣人物戯画』にはじまり、アニメの技術についてもお話しくださいました。日本美術の歴史に詳しく、参加者のアンケートには日本の絵の描き方や素晴らしさを知れたとの感想が寄せられています」と北村さん。県外からも多くのファンが来場し、サイン会は一時間以上におよんだ。列に並ぶ一人一人と向き合い、対応していたという。

高畑 勲(たかはた いさお)アニメーション映画監督。1935年10月29日、伊勢市生まれ。1959年に東京大学仏文科卒業後、東映動画へ入社。TVシリーズ「狼少年ケン」で初演出。劇場用映画「太陽の王子 ホルスの大冒険」(1968)で初監督。1985年、スタジオジブリの設立に参加。以後「火垂るの墓」(1988)、「おもひでぽろぽろ」(1991)、「平成狸合戦ぽんぽこ」(1994)、「ホーホケキョ となりの山田くん」(1999)を発表。2013年には待望の新作「かぐや姫の物語」が公開され、毎日映画コンクールアニメーション映画賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞(アニメーション映画部門)等を受賞し、米国アカデミー賞長編アニメーション映画部門賞にノミネートされた

 三年前の春、高畑勲監督は八十歳のときに津を訪れている。三重県生涯学習センターが主催する「三重のまなび講演会2016」において、日本の美術やアニメーション、映画の世界を壇上で語り、「かぐや姫の物語」が上映された。きっかけは、津市大門の観音寺境内にある日本映画の巨匠・小津安二郎の記念碑。建立を記念してまとめられた冊子に高畑監督のコメントがあったことから関係者を通じて接点を持ち、講演会が実現したと、事業担当の北村甲子生さんは振り返る。
 高畑監督は、一九三五年に伊勢(当時の宇治山田市)で生まれた。七人兄弟の末っ子で、父親は宇治山田中学校の校長だった。二歳のとき、父親の転勤で津に移り、三重師範付属国民学校に入学、七歳の一年生三学期まで三重で暮らした。遷宮のお木曳にも参加し、津では武家屋敷の一つを借りて住み、阿漕浦や贄崎の海で遊んだ思い出があるという。その後、岡山に引っ越し、九歳で空襲に遭うと、二歳上の姉と夜を彷徨った。終戦後に父と訪れた津でも、住んだ家は空襲のため跡形もなくなっていた。高畑監督による「火垂るの墓」は、両親や住家、すべてを戦争に奪われてしまった清太と節子の物語で、戦争の悲惨さが訴えられている。一方、「自分たちが受けた悲惨な体験を語っても、戦争を防止することにはならないだろう。もっと学ばなければならないのは、そうなる前のこと、どうして戦争を始めてしまったのか、であり、どうしたら始めないで済むのか…(引用『君が戦争を欲しないならば』)」と高畑監督は本質を問う。
■再びふるさとを訪れて 生命力にあふれた温かな人柄
 三重県総合文化センターの情報誌『Mnews』でインタビュー記事を組むため、北村さんは東京小金井のスタジオジブリで高畑監督と会った。「大作をつくりあげてきたストイックなイメージと違って、とても気さくな方でした。津での幼少期のことも、覚えている限りをお話しくださって。甘いものがお好きなようで、手土産の和菓子をとても喜んでくださったのを覚えています」と当時を話す。会話中に身振り手振りが多く、エネルギッシュに誠意を持って応じる姿が印象的だったという。<br /> 『Mnews Vol.113』に取材時の写真が掲載されている。多忙な身でありながら、高畑監督は原稿の確認も丁寧に対応したそうだ。<br /> 講演会当日、「窓の外に広がる山の景色に興味を惹かれ、懐かしんでいる様子でした」と津駅からの往復のタクシーに同行した北村さん。『Mnews Vol.113』には「泳がなくたって渚で遊ぶだけで、そりゃもう面白くて。(中略)あんな素晴らしい遠浅っていっぱいあったんだろうけど、もう日本にないですよ」とある。高畑監督の「平成狸合戦ぽんぽこ」は、狸を主人公に自然と人間の対立・共存をコミカルに描いた作品だ。まだ「里山」という言葉が定着していない時代に発表されている。<br /> 講演会には子どもから高齢者まで、幅広い世代が集まった。「『鳥獣人物戯画』にはじまり、アニメの技術についてもお話しくださいました。日本美術の歴史に詳しく、参加者のアンケートには日本の絵の描き方や素晴らしさを知れたとの感想が寄せられています」と北村さん。県外からも多くのファンが来場し、サイン会は一時間以上におよんだ。列に並ぶ一人一人と向き合い、対応していたという。

講演会を機に高畑監督の出身を知った人も多い。因みに母親は伊賀出身。高畑監督は松尾芭蕉の七部集「冬の日」からできた連句アニメーション映像(総合監督・川本喜八郎)にも参加している

 三重県総合文化センターの情報誌『Mnews』でインタビュー記事を組むため、北村さんは東京小金井のスタジオジブリで高畑監督と会った。「大作をつくりあげてきたストイックなイメージと違って、とても気さくな方でした。津での幼少期のことも、覚えている限りをお話しくださって。甘いものがお好きなようで、手土産の和菓子をとても喜んでくださったのを覚えています」と当時を話す。会話中に身振り手振りが多く、エネルギッシュに誠意を持って応じる姿が印象的だったという。
 『Mnews Vol.113』に取材時の写真が掲載されている。多忙な身でありながら、高畑監督は原稿の確認も丁寧に対応したそうだ。
 講演会当日、「窓の外に広がる山の景色に興味を惹かれ、懐かしんでいる様子でした」と津駅からの往復のタクシーに同行した北村さん。『Mnews Vol.113』には「泳がなくたって渚で遊ぶだけで、そりゃもう面白くて。(中略)あんな素晴らしい遠浅っていっぱいあったんだろうけど、もう日本にないですよ」とある。高畑監督の「平成狸合戦ぽんぽこ」は、狸を主人公に自然と人間の対立・共存をコミカルに描いた作品だ。まだ「里山」という言葉が定着していない時代に発表されている。
 講演会には子どもから高齢者まで、幅広い世代が集まった。「『鳥獣人物戯画』にはじまり、アニメの技術についてもお話しくださいました。日本美術の歴史に詳しく、参加者のアンケートには日本の絵の描き方や素晴らしさを知れたとの感想が寄せられています」と北村さん。県外からも多くのファンが来場し、サイン会は一時間以上におよんだ。列に並ぶ一人一人と向き合い、対応していたという。
■作品から感じるメッセージ 日本を代表するアニメ
 高畑監督が生み出すキャラクターからは、命の輝きを感じられる。遺作の「かぐや姫の物語」は、日本画のようなかすれや筆のタッチを再現した絵を動かすため、通常より何倍もの作画が必要となり、制作期間は八年にも及んだ。そういったアニメーションならではの驚きだけでなく、物語に込められたメッセージは多層的で奥深い。かぐや姫の行動を追うと、現代にも置き換えられる一人の女性像が浮かびあがる。「なんでもないわ。生きている手応えがあれば。きっと幸せになれた」とかぐや姫の言葉を筆者自身に重ねると、存分に生きることや幸せの意味とは何だろうと考えさせられる。<br /> 人間の心理描写に深く入り込み、豊かな表現力で人生の喜びや悲しみをありのままに描き出す高畑監督。生きることについての洞察は「火垂るの墓」でも描かれ、鋭さと同時に辛辣さをも感じさせる。<br /> 「心がけてきたことといえば、感情移入してもらうにしても、笑ってもらうにしても、とにかく主人公の置かれた状況をできるだけ愚直にまるごと描いて観客につかんでもらおう、ということでしょうか」と東京アニメアワードフェスティバル・功労賞受賞時、自身の演出法について語っている。七十年代、多くの人が夢中になった「アルプスの少女ハイジ」も高畑さんが演出。テレビアニメ史上初、原作の舞台であるスイスに出かけ、海外現地取材を敢行した。物語中で有名なチーズがとろけ出す場面は今も鮮明に思い出せる。<br /> 映画はさまざまな側面を持つ芸術であり、何度観ても新たな発見がある。一作一作に全精力を注ぎ込んだ高畑監督の作品から、人々は生きるヒントを得られるのではないか。<br /><br />文/中村元美 写真/株式会社スタジオジブリ提供、三重県生涯学習センター提供

スタジオジブリにて、「かぐや姫の物語」の制作に専念する高畑監督。現場での写真撮影は極力避けていたようで、とても貴重なショット

 高畑監督が生み出すキャラクターからは、命の輝きを感じられる。遺作の「かぐや姫の物語」は、日本画のようなかすれや筆のタッチを再現した絵を動かすため、通常より何倍もの作画が必要となり、制作期間は八年にも及んだ。そういったアニメーションならではの驚きだけでなく、物語に込められたメッセージは多層的で奥深い。かぐや姫の行動を追うと、現代にも置き換えられる一人の女性像が浮かびあがる。「なんでもないわ。生きている手応えがあれば。きっと幸せになれた」とかぐや姫の言葉を筆者自身に重ねると、存分に生きることや幸せの意味とは何だろうと考えさせられる。
 人間の心理描写に深く入り込み、豊かな表現力で人生の喜びや悲しみをありのままに描き出す高畑監督。生きることについての洞察は「火垂るの墓」でも描かれ、鋭さと同時に辛辣さをも感じさせる。
 「心がけてきたことといえば、感情移入してもらうにしても、笑ってもらうにしても、とにかく主人公の置かれた状況をできるだけ愚直にまるごと描いて観客につかんでもらおう、ということでしょうか」と東京アニメアワードフェスティバル・功労賞受賞時、自身の演出法について語っている。七十年代、多くの人が夢中になった「アルプスの少女ハイジ」も高畑さんが演出。テレビアニメ史上初、原作の舞台であるスイスに出かけ、海外現地取材を敢行した。物語中で有名なチーズがとろけ出す場面は今も鮮明に思い出せる。
 映画はさまざまな側面を持つ芸術であり、何度観ても新たな発見がある。一作一作に全精力を注ぎ込んだ高畑監督の作品から、人々は生きるヒントを得られるのではないか。

文/中村元美 写真/株式会社スタジオジブリ提供、三重県生涯学習センター提供

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